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カテゴリ:尊徳先生の世界
武者小路実篤全集第9巻760ページに「二宮尊徳」より抜粋
農民の聖人 二宮金次郎はいつ尊徳と号するようになったか。自分はよく知らないが、金次郎と呼ぶよりは尊徳という方がふさわしい人物になっている。 いつのまにか金次郎は大木になっている。 野州聖人は関東の聖人になり、日本の聖人になり、やがては世界の聖人になるかも知れない。聖人という言葉は少しふさわしくないかも知れない。だが深さにおいては聖人に決して負けていまい。 彼はどこまでも農民である。大地の子である。彼は天地に甘えてはいない。彼は大地から人間に必要なものを取り出す。 (略) 彼は実に怒りぽかったらしい。 僕の友人の志賀直哉の叔母さんが、尊徳の怒っているところを見たことがあるそうだが、雷のようなよく形容されているのは本当で髪毛を逆立て、頭から湯気を出して怒りつけていたそうだ。しかしその怒るのは私情からではない。人道からである。人間のなすべきことをしないものに対してである。 彼の怒りは権威のある怒り方だった。 彼は国君も恐れない。家老も怒れない。ただ至誠から、背くことを怒れる。 彼は又実に緻密な頭の持ち主で、教理に明らかであり、実によく考え、よく見ている。 いかなる悪人も彼をだますことは出来なかった。彼は真心をもたない者とは話をするのを嫌った。それは自分にとっても相手にとっても社会にとっても役に立たないことを知っていた。 彼は真心から戸をたたくもの以外は戸をひらこうとしなかった。彼から怒鳴られたものは何人あるか知らない。しかし彼を怒鳴り得たものは同時代にはなかった。 彼はあらゆる機会をつかまえて、人間の心の改造をしようとした。 人間の心の改造が彼には第一であった。そこからすべてのものが発するのであった。大地をよくすることについては彼は実によく知っていたが、人間の心をしっかりさせることも彼は実によく知っていた。時々彼は相手の意志や覚悟がよわいので、失望させられたが、彼は自分の主義、方針については動揺したことがなかった。 彼の一生は労苦の一生だった。民を救うための一生だった。私の利害は彼の眼中になかった。・・・ しかし尊徳の名声があがるに従って功をめたむものが出来るのはやむを得ないことであり、誠意が報いられず、ひどい目にあう話なぞ、今聞いても腹がたつような話があるが、しかし金次郎はそれで少しも悲観はしない。60位の時、入浴中槍でつかれかけてやっと助かったなぞという話なぞ、本当とは思えないような話である。 (略) しかし金次郎は自分よりもっと苦しんでいる老人のいることを知っている。自分の功をほこる気はないのだ。倒れてやむ意気は益々盛んで、私事で腹を立てる余裕はなかった。 晩年には日光の神領を再興するために、病後の身体をもって、山又山を歩きまわり、谷又谷を渉って貧しき人々を救うために、70近い身をもって89か村を見回る。 そして70で死ぬまで、彼は実に一身を顧みず働きぬいた。 (略) 尊徳は日本が生んだ最も独創的な最大の男である。・・・彼は珍しく自己の考えをもった、独立人だった。 誰の言葉にもおどろかない。又他人の言葉を自分の血や肉にしてしまうことを知っていた。・・・ 彼のようにしっかりした、大地の上に根をはり、人道をふんでおどろかず、天道をかしこむことを知っているものは聖人の他にはない。野州の聖人農民の聖人といってもそれは嘘ではないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月26日 20時50分45秒
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