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2020年12月22日
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斎輔霊神 と 祖神様

「江戸時代人づくり風土記22静岡」272~280ページ
斎輔霊神ー民間療法の元祖となった高松才助
天保元年(1830)3月5日、当時の周智郡奥山郷地頭方村の時原村(今の静岡県磐田郡水窪町)に一人の男の子が生れた。名を才助と名付けられた。父は修験道の先達だった高松周碩(かねひろ)、母はさとといった。
 才助は3歳でいろはを覚え、小さい頃から、神仏を拝み生き物を憐れみ、ノミ、シラまで殺さなかった。8歳のとき、村の加持大仙という人の妻が難産で苦しんでいた時、父が祈祷で治せなかったのを祈願して不思議に無事出産したという伝承がある。
 10歳のとき突然行方不明になる事件が起こった。村の人々が探し回ったが、白倉権現という修験者の道場で、断食の荒行を行っていた。才助を見つけた人々は説得して村に連れて帰った。
 13歳になると周智郡山梨の医師の賢斎という人の門に入って、医学を修めた。才助はその後も諸方に行って勉学に励んだ。「斎輔霊神由来記」によれば、京都へ行ってさらに医学を学ぶ一方神社仏閣を拝し、「因果経」「法華経」などの仏典や医学書を求めて帰郷したとある。
 才助の治療方法には独特なものがあった。患者自身に「少しで早く病気を治したい」と願う心持ちを起させ、薬療の効果を一層助長させるという治療方法をとった。そのことで患者の全快が早くなり、治療率もよかったと伝えられる。
 そのころ、有本の新谷伊勢蔵という人が、弟子として才助に仕えたが、
「才助様は、薬代を持参する者にはお茶だけのもてなしでよいが、貧しくて薬代の払えない者には一食添えてもてなすように」といつも指示を受けて実行していたという。
またある雪の降った朝、才助が「伊勢、雪をかけよ」と命じたので、伊勢が「無学でもかかねばならぬ今朝の雪」と答えると「うん、よくできた」とほめた話が伝わっている。
 安政元年(1854)正月、才助は思いがけず病気にかかり、日に日に病状は悪化した。しかし本人は少しも悲しむ様子が無く、普段と変わりなく笑顔で診療を続けた。両親が心配して「病にさわるから診療はやめるように」というと、才助は、
医は仁術といいます。医者として、また人としての務めを果たさなければなりません。少しでも多くの方々に喜んでいただけることが私の幸せです。どうか悲しまないでください。人は生まれたとき、すでに天命が定められています。自分の体のことは私がよく知っております。」と笑いながら答えたという。
10月になって、病状は急に悪化し、死のまぎわに才助は「医者として、また人としての務めを半ばにして終るのが心残りですが、私亡き後、堀切峠の上に五色の雲が見えます。それが私です。母様よく見ていてください。それが見えれば、私亡きあとも皆様のお役に立つことができると思って喜んでください。」と言い残し、そばで見守る人々に礼を言い、眠るように死んでいった。10月5日、才助25歳だった。
 一同が悲しみにふけるなか、ふと堀切峠を見ると、上空に五色の雲が浮かんで、それが数日間続いたという。
 才助亡き後、生前の徳を慕う人々が社を建て、斎輔霊神の神号を奉ることになった。その後、信者に夢や感得という霊的体験で、また斎輔霊神に奉仕する神主の口を通しての「申し降ろし」によって、内服薬や外用薬の手当てを教示し、多くの患者を救った。
「斎輔霊神由来記」によれば、没後まもなく有本の守屋国平の祖母が重い病にかかり、水窪の医師の診療を受けるため、村の人の協力で連れ出す支度中、祖母が心中に斎輔様を思い出し、祈念したところ、夢のように草木の根や皮の処方とその服用方法が浮かんできて、家人が急いでそれらを採取して服用させたところ、熱が下がり、日ならずして全快したという。
 こうしたことが数多くあって、参拝者が絶えないようになった。後に新谷伊勢造が神がかりして「申し降ろし」を行い、患者やその代理人に伝えるようになった。
 斎輔の神示には罰だとか祟りというようなことは決してなかった。才助の妹の子孫にあたる名古屋の高松栄一という人が故人となってから、「申し降ろし」のできる人は一人もいなくなった。(孫六京一)

祖神様について
あなたたちの先達(せんだつ)として、私は、あなたにこのことを言い残して置きたい。
 信仰こそは、人生の宝の家のありとあらゆる扉を開く、万能の鍵(かぎ)である。
 あなたの言葉の使い方によって、あなたは、弁護もされ、また批判もされるのである。
 人生は、冷厳な現実であり、人生は厳粛である。
 現代の人々に必要なものは、物質の糧(かて)ではなく、魂の糧(かて)である。
 あなたの考えと思いを、常に正しいことに向けよ。
                        まつぞう
As your philosopher I want to leave this with you.
Faith is the master key that will unlock any and all doors to the treasure house of life.
By thy words thou shall be justified or condemned.
Life is real and life is earnest.
The need of people of today is not material food but spiritual food.
Direct your thoughts and mind always for the right.
-Matsuzo-

この御言葉は、昭和29年(1954)に世界神霊学会が、アメリカで開催され、当時大阪大学教授で工学博士だった安藤先生が出席した時、祖神様(松下松蔵翁)が出現し、石盤書記という形で、「神言」を語られたという。
 祖神道の教祖であらせられる松下松蔵、その人は、明治六年三月十日、宇宙万物 の創造主である天津神様から指名を受け、この地球上に使者として御降誕なされ、世の人から、「祖神様」 「親神様」「生神様」と尊信を受け、神人として慕われたのであります。
 祖神様は、三十七万年前に天津神様から約束された方でありました。御生母の胎内に在られる時から、天津 神様から御力を御授かりに成りました。御誕生後は、大正八年に御力を御授かりに成り、更に昭和五年十一月 二十一日に第三回目の御力を御授かりに成られたのであります。その間、修行と修業を積み重ねられ、人間 としての肉体を所有しながら、天津神様に次ぐ魂と御力を所有されるに至ったのであります。
 祖神様は、一体どの様な環境の中で、御育ちになり、どの様な御方であられたのでありましょうか。御尊父は 、正直者で勤勉努力家で、その稼業に熱心な余り、内に対しては頑固一徹な厳格な性格の持ち主でありました。 祖神様の正直一途の稼業振りを面倒がられて、在る時は大声で叱咤され、在る時は鉄拳を揮って殴打されるこ とすらあったのでありますが、親孝行を魂の修業とされた祖神様は、日常生活の中で唯の一度として口答えを なさることが無く、嫌な顔色一つなさらなかったのであります。
 祖神様は、御幼少の頃から別段これと言う教育も御受けに成らず、御身体も強壮ではありませんでした。祖神 様は、普通の子供達とは違っておられ、丁度八歳頃から好んで寺に説教を聞きに行かれたり、神社に講和を 聞きに行かれたのであります。
 十二歳頃から自分に目を向けられ、自己追求と徹底した親孝行に依る魂の修業をなされたのであります。病弱な 祖神様ではありましたが、深い信仰心に依って健康に成られ、それ以後、天津神様を修行の対象と成され、一層 自分に厳しく精進されたのであります。
 大正八年八月七日(西暦一九一九)の夜のことでありました。例に依って御神前にぬかずかれて、祈念祈願して 居られた一刹那、突然祖神様の口から宛も煙でも噴くように、約一升とも思われる程の血が、十分間程もほとばし り出て昏倒し、そのまま・絶息するかと思いの他、祖神様御自身「今、自分は死ぬのではないか、と思った」との ことであり「その吐き出された血こそ肉身に残っていた悪血であった」とのことでありました。この一瞬時に、天 津神様の啓示であるところの四大道即ち忠孝敬神宗祖を喝破され、この時をもって天津神様の御霊気と御神気(御力) が、祖神様の体内に大量に御下りに成り、心身共に天津神様の領域の御方と成られたのであります。
 この突発的な出来事の瞬時から、祖神様の御身体には、不思議にも異常なまでに霊力が加わり、神眼神耳が開かれ、 神通力を得られるに至り、色々な霊的現象、神的現象を披露され、三界を見透されるに至ったのであります。時間 と空間を超越され、人間が生存する現界は無論のこと、霊界も自由自在に透視されるのみならず、天津神様と神話を 交わされたり、死霊や生霊とも交霊されたり、邪霊や動物霊を排除されたり、諸悪霊を支配して使わされたり、又 病者に対しては、病気の根源を見い出して、深い愛情を持って霊的治療(御手数)をされ、天津神様に対して、その 者の御加護を願われたり、数々の予言を成されたのであります。
 祖神様を尋ね求めて集まる人達は、ワラをも掴む思いで、自分の苦しみを取り除いて頂くことや病気を治して頂く ことや除霊して頂くことのみに終始し、祖神様の御力の根源である天津神様の存在、その摂理と啓示、そして祖神様 が、人々に求められた魂の修業、即ち人間完成については驚嘆と同時に、苦しいときの神頼みで、殆んど求め知る余 地がなく、それは偉人と俗人との差としか言いようがなかったのも、疑わざる事実なのであります。
 祖神様は、極めて無造作に「人間の根本は神である。人間は、その分身であり、分霊である。本来は、純真清明の 霊である。然しそうあるべき霊魂が穢れ汚れている為、不幸を招き、不運にとらわれる。霊魂を磨き本来の清明な心 に帰らなければならない。それが神に尽くすべき人の道であり、自己を全うする人の道である。
「私が神通力を発 揮して、多くの患者を治す目的は、難病者を救うと言うだけでなく、世の中には、人間の目に見えない霊界が厳存し て、人の運命を支配していることを立証し、物質文明に捉われて、精神界の因果律を忘却し、無視しつつある現代の 人心を、眠りから醒めよとの神意を顕わすことにあるのだ」
と力説され、修業についても、私は
親孝行の為に力を 得た。私は決して願をしたのでもなく、行を積んだのでもない。唯、生まれつき親孝行をすることが好きであった。 一度も親に口答えせず、そむいたこともなかった。元来人間は、親あってこそ自分の身体がある。生まれたのも、育 ったのも皆親の恩である。親あっての自分で、我が身が大切なら、親は猶更大切で、特に親の子に対する愛情は、無限である。それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。親孝行が人間道の根本だ。今日、私が神通自 在の力を神様から授かったのは、唯親孝行の一事からである。人間の修業は、畳の上の修業(日常生活の中での行い) が本当である」と申され、人々に物事の道理を説かれ、そして
私は、神様ではない。神様のお姿を見、神様の御声 を聞き得るのみである。決して松下と言う人間の力で出来るものではない。神様の御声を聞いて初めてそれが出来るの である。これは、神様が厳存される実証であるのだ
と仰せになると共に
人間は、正しい神様を求め、そして信じ、 感謝しなければならない。自分の霊魂を磨かなければならなぬ。松下の思想、松下の行為そのものに一歩一歩見習って 進むことが肝要である。かくして人間の罪障が取り除かれ、人は幸福を受ける即ち信仰の利益を受け得られるのだ
と仰せになり、天津神様の存在と信仰に対する姿勢について、声を大にして叫ばれたのであります。





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最終更新日  2020年12月22日 17時09分41秒
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