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2020年12月26日
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カテゴリ:遠州の報徳運動
2018年12月15日の講演会の後半では、『二宮先生語録』を紹介した。

Sさんと『二宮先生語録』の公共図書館への発送作業をしながら話しました。

「この語録の表紙について、二宮尊徳の会の会員のSさんに
 『表紙の色はどんなのがいいかな?』
と聞くと、Sさんは
 『ヒョウ柄がいいんじゃない』
と言うのです。
ええっ、ヒョウ柄?!と一瞬驚いたものの、『君子は豹変す』、徳の高い立派な人物は、過ちに気づけば即座にそれを改め正しい道に変えるという意味だからいいかも、と採用しましたというとね、少し笑いがおこって、うけたよ」

「さらにね、このヒョウ柄は実は ハート のマークになっています というとね、少し驚きの声があがったよ、やったね(^^)v」

「ハートマークって、言われなければ気づかないよね」

『二宮先生語録』の講義では、時間の関係もあるから、注の鈴木藤三郎の「報徳」の考え方を説明した。この語録を読むと、鈴木藤三郎と遠州報徳の報徳の考えの一端が理解できるように仕組んであるんだ。

語録【62】58ページの注の2では
「今日世間に現存している人間はいかなるものでも、天地の恵みと祖先の遺徳とによって現代の開明に浴しているのです。すなわち学問でも、教育でも、政治でも、宗教でも、また農工商その他人間社会における一切の事物はことごとく我らの祖先が数千年前の有巣時代穴居時代より今日までに、経験工夫のかずかずを積みて遺されたる賜物であることは、だれも熟知のことです。然らば天地の恵みは申すまでもなく、祖先の遺徳の大なることは、到底言葉で言いあらわすことのできることではない。故に人たるものはこの大恩徳を報いる心がけが必要であることを了知すると同時に、その実を挙げなければならない。これがすなわち報徳の行いである。然らばいかなることを為してこの大恩徳に報いることができるかと申せば、現代の我々は倍々勤労を積んで、人の幸福となるべきことを拓(ひら)き、祖先の遺徳に加えてこれを後代に譲り、子々孫々、またかくのごとくにして、数百千代の後には、この世界をして、ついに円満無欠の楽土となすようにつとめること、これがすなわち右申す大恩徳に報いるゆえんでして、また、実に人間仲間に、一貫した人生の大目的でなければならない。」(「職務本位」鈴木藤三郎)」

語録【75】68ページの注の2では
鈴木藤三郎「報徳の精神」(『産業報徳革命の人』一八一頁)「私は多年二宮尊徳先生を尊信する者です。(略)二宮先生の教えは実行を貴ぶ。私は報徳を自分の身分相応に自分の仕事に実行したいという考えが起こりました。二宮先生は小田原侯から命ぜられて桜町に行かれた時「金はいりません。荒地は荒地の力を以て開きます」と言われた。年々得られた利益を資本に推譲すると非常に大きな開墾ができる。私はこれは農業だけではあるまい。天下の事業全てこの通りでなくてはならない。この精神でこの報徳の方法に基づいて自分が実行したいと思いました。明治十年から十四年の五年間の予算をたて、一月一日から実行しました。五年後には、売上高が十倍、資本金が五倍になりました。岡田良一郎先生にお話しすると「荒地開拓法をこのように応用したのはお前が初めてである」と言われました。私はその後、砂糖やいろいろやりました。すべてどんな事業でも、報徳の心を心として、この方法に則ってやりましたら、大きく申せば、天下の事業、すべて成らないものはない。 事業のみではない、報徳の精神で活動すれば事として成らないことはないと思います。」

語録【76】70ページの注の1では
鈴木藤三郎「報徳実業論」(『産業報徳革命の人』一七一―一八一頁) 
「報徳は人間の大道にして、太古人類始めてこの世界に生み出したる時代より今日に至るまで、この道に適(かな)うものは栄え、背くものは衰う。あえて二宮先生の新たに作為したる道にあらざるなり。然りといえども特に報徳の本義を闡明(せんめい)し、身自らこれを実践躬行し、しかして道徳を経とし、経済を緯とし、興国安民の活訓を後世に垂れたる者は二宮尊徳先生なり。国として治者この道にのっとれば政綱挙り、人民この道を勤むれば産業振興し、治者人民ともにこの道に励めば国家の富強期して待つべきなり。(略)いにしえの道を聞ても学んでも 身の行ひにせずば益なし」

またね、語録【146】117ページの注の1の「岡田大明神」を紹介した。

『報徳清談』井口丑二著二九岡田大明神「箱根八里を駕籠で越す頃、遠州倉真(くらみ)の岡田無息軒大人(岡田佐平治)関東より帰郷の途中、徒歩にて小田原宿を通過したところ、宿の出はずれにて駕籠かき二人追いすがり、駕籠に乗るよう強いた。大人は応ぜず、サッサッと歩んでいくと、一人は思い止まったが、他の一人が、なお暫く跡を追ってきて強いることますますうるさかった。大人余儀なく振り返って、「予は報徳の社中であるから、何といっても乗らないぞ。空しく随って来るな」と断ったが、その者もしつこくすがって「報徳とは何ですか」と問う。大人は答えて「そうであればよ。報徳とは、一貫(千文)の物を九百に売り、九百のところに八百を受ける。そして我が身の事には倹約を行い、からだが悪いか、急ぎの道中か、何か特別の必要があるのでなければ、馬にも駕籠にも乗らないのだ」と諭した。するとその者は腕を組んで考え込んだが「さて、そのような珍しい道を説くあなたは、どういう人でしょうか」と問うた。「私は遠州の岡田という者だ」と答えて、足早に歩み去った。その後何年か経って、ある年無息軒大人が、再び小田原を過ぎて、ある新しい宿屋に一泊したところ、夜に入って、宿の亭主が神前に礼拝して、何か熱心に祈願する声を聞けば、しきりに岡田大明神、岡田大明神と称えている。岡田といえば縁のある名前だ。さても岡田大明神とはどんな神であろうかと不思議に思って給仕の女中に問いただしてみると、「それは詳しくは存じませんが、当家の主の家族が日頃最も熱心に祭る神です」との答え。非常に好奇心が動いて、亭主を呼んで、なお詳しく問うと、亭主はとても誇らしげな顔で、「これはありふれた神ではありません。全く当家に恩のある神で、その仔細はこのようです」といって、「私は元駕籠かきでしたが、ある年一人の旅人に駕籠に乗るよう強いたところ、旅人は私は報徳の社中であるから乗らないという(中略)私はその説に心が動き、あなたはどのような人かと問うと、遠州にて岡田と呼ばれる者だと答えて走り去りました。それより私は志を起こして、その人の教えに随って、一貫文を九百で乗せ、九百のところに八百を受けるように稼いだところ、職業は日に月に繁盛し、やがて少しの資本さえ作ることができて、旅人用の宿屋を開業し、同じく安さと丁寧さをもって営業したところ、これまたますます人々の愛顧を蒙って、安楽に渡世することとなりました。これはひとえにあの旅人のご恩であると、神に祭って、ひそかに岡田大明神と名づけて、朝夕礼拝し謝恩しているところです」と、詳しく説明した。その談話を静かに聴き終わって、無息軒大人はやおら口を開いて、その岡田こそ私であると名乗ったところ、亭主は大変驚いて、そういうお声に覚えがあります。髪形は変わりましたが、おもかげは実にあなたでございますといって、限りなく喜び、妻子供など呼び集めて、一同感謝したという。右は浜松の鈴木良平君が、明治十三年の頃、古老に聞いたという話である。」

するとね、大日本報徳社のIさんがこの「岡田大明神」の話を演劇風にして演じるだって。
すごい、シンクロニシティ(英語:synchronicity:意味のある偶然の一致)かもね、

つらつら考えると「岡田大明神」の話は、
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の感謝します の使い方にもよく一致している。





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最終更新日  2020年12月26日 00時23分20秒
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