全て
| 報徳記&二宮翁夜話
| 二宮尊徳先生故地&観音巡礼
| イマジン
| ネイチャー
| マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
| 宮澤賢治の世界
| 五日市剛・今野華都子さんの世界
| 和歌・俳句&道歌選
| パワーか、フォースか
| 木谷ポルソッタ倶楽部ほか
| 尊徳先生の世界
| 鈴木藤三郎
| 井口丑二
| クロムウェル カーライル著&天路歴程
| 広井勇&八田與一
| イギリス史、ニューイングランド史
| 遠州の報徳運動
| 日本社会の病巣
| 世界人類に真正の文明の実現せんことを
| 三國隆志先生の世界
| 満州棄民・シベリア抑留
| 技師鳥居信平著述集
| 資料で読む 技師鳥居信平著述集
| 徳島県技師鳥居信平
| ドラッカー
| 結跏趺坐
| 鎌倉殿の13人
| ウクライナ
| 徳川家康
カテゴリ:遠州の報徳運動
松島吉平君略歴 静岡県遠江国豊田郡豊西村中善地十六番地平民農 一 嘉永二年三月十七日遠江国豊田郡中善地村松島家に生る。姓は藤原、父を源左衛門と称す。君幼名を吉兵衛と呼び、後、吉平と改む。諱は為知年立庵十湖と号す。 六歳の時より十二歳まで隣村羽鳥村源長院住職西尾恵全に随い読書を学ぶ。後更に遠江国城東郡横須賀村撰要寺住職戒誉玄常及び同寺副住職釈真及に就いて漢籍及び書を学び、傍ら仏学を受くること三年にして家に帰る。十五歳の時より栩木夷白、伊藤嵐牛、橘田春湖に歴随し俳諧を学び、高橋行慶、小栗松靄、有賀豊秋に就て漢学及び詩文和歌を修む。長じてのち福山滝助に就て報徳法を究む。又西有穆山、今井東明、松山舜応等に就て仏学を受く。 一 明治元年八月営繕司高石幸次郎殿より営繕司御用係命ぜらる。 一 同年十一月御用済み営繕司御用係免ぜらる。 一 同五年中、君発起して豊田郡中善地村より同郡匂坂中村へ天龍川横越渡船の許可を得、交通の便を開かれたり。 (以下主要経歴のみ略記) 一 同六年四月浜松県より第二大区四小区中善地村戸長命ぜらる。 一 同八年七月浜松県より第一大区三十小区中善地村戸長命ぜらる。 一 同九年十二月静岡県より県会議員命ぜらる。 一 十二年中米国前大統領グラント君の本県に来遊せらるるに当り君その接待委員に推薦せらる。その際同君の肖像及び小伝を受けられたり。 一 同十四年七月静岡県遠江国引佐・麁玉郡長に任ぜらる。 一 十五年中、君の発起にして引佐郡笹形峠をうがち新道を開設せり。 一 同年九月松島授三郎、野末九八郎の諸君と共に西遠農学社を設立し引佐郡伊平村に於て結社式を行う。 一 君は明治五年より同十五年まで金井利太郎、金子平六、鈴木権三郎、鈴木五郎平、一木権三郎、鈴木得三郎、内山源四郎、村松徳右衛門、山瀬喜平治、野沢又平等と共に報徳遠譲社社長を勤めたりしが、引佐・麁玉郡長に任ぜられしを以てこれを辞せり。その際該社数は六十一か所いしてその貯金三万五千八百四十円六十七銭一厘の巨額に達せりという。 一 同十六年中君の誘導により引佐・麁玉両郡内各小学校の経費に充たさんがため、有志者の義捐を募り百か年利倍増殖の法を設く。その元金は僅々二百九十七円なりと雖も百か年ののちは元利合計十万九千百五十二円八銭七厘の多きに達する予筭なり。以後は小学校費として一銭も要せざるの計画なり。 一 同年中前項の方法を以て引佐・麁玉両郡戸長役場費に充てんがため百か年利倍増殖の法を設けたり。故にこの期限満つるののちは両郡内は土木費を除くの外、村費を徴収せられざる安楽世界となるや必せり。 一 君、農事奨励のため引佐・麁玉精農会なるものを設け、精農者を選抜の賞を与う。明治十五年より同十八年に至る四回賞に逢うもの二百四十四人経費は有志者の義捐なり。 一 同十九年中、三遠農学社を引佐郡気賀村に建設す。その建坪六十三坪瓦葺総白亜なり。かつ諸種の農具及び数十人の寝食に供し得る器物を備う。 一 三遠農学社の顧問に推戴せらる。該社は十数か国にわたり社員三千余名あり。 一 君の誘導にて三重県南勢に報徳社十数社を組織せらる。 一 明治元年中、豊田郡中善地村に報徳社を組織し結社以来三か年間一日も怠らず縄ないをせらる。 一 君十湖発句集その他数十の編集あり。 明治二十三年五月 編者誌 ☆松島吉平(十湖)は、「福山滝助について報徳法を究」め、「報徳遠譲社社長を勤めたが、引佐・麁玉郡長に任ぜられ」て辞めたとある。豊田伊吉は松島吉平に遠譲社の報徳を受け、報徳社を作ったのだ。しかし、まあ松島吉平の実績に見るその実践の確かさよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月20日 17時02分20秒
[遠州の報徳運動] カテゴリの最新記事
|