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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
報徳記を進める上表
臣・充胤(みつたね)誠に恐れかしこんで申し上げます。臣の祖先は封地を辺鄙の所にうけまして、代々地方の人民をおあずかり申して来ました。天明の飢饉、天保の疫病に、田野が荒廃して人口が減少しました。臣の父・益胤(ますたね)は深くこれを憂い、興復を焦慮しましたが、そのことを果たさないで世を去りました。臣は若くして遺緒(あと)を継ぎ、父祖の業を拡張しようと思いますうち、家士富田高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。尊徳はこれに興国安民の法を授けました。そこで高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。尊徳はこれに興国安民の法を授けました。そこで高慶は家老の草野正辰(まさたつ)等と謀り、臣に勧めてこの法を行わせました。その教えと申しますには、風俗を厚うし、礼譲を尊び、身寄りのない者を哀れみ、怠惰を戒め、節用厚生、これ以上に良い仕方はないというほどであります。それから後は、民風はようやく奮い、農産はますますふえ、他から人口が続々と集まり、荒地はつぎつぎに開け、家々は衣食に困らなくなり、鶏や犬の声がにぎやかに聞こえて来ました。これは尊徳の教えによって高慶らの力を入れた結果でありまして、ここに亡父の素志が成就し、臣の微衷が果たし得たのであります。そうして、尊徳の実践したところは民政に参考とすべきものが少なくありません。高慶がその伝え残っていることを取り集めて書き記しましたものが、すなわちこの報徳記であります。 それ天の徳は公明正大であり、地の徳は重厚慈仁であります。そうして四季はめぐり万物は育ちます。それで衣食がありますから飢寒を免れます。居室がありますから風雨を防ぎ得ます。そこで人たるものは、天の徳を徳とし、地の徳を徳とし、朝早く起きてこれに報いるために働き、夜遅く寝てこれに報いることを心掛け、信義を行い節倹を勤め、一尺ずつ荒地を開いて一畝に至り、わずかの金を積んで巨万に及ぶのであります。 報徳の道とは、まず、そのようなものであります。これはすなわち尊徳の平素の持論でありまして、高慶らのその法によって興復したところであります。恭しく維(おも)いまするに、 天皇陛下は神のごとくさとく英明であらせられ、維新の創業に当って、世にひそんだ徳あるものを表奨したまい、隠れて目立たぬ物事までもその長所美点を顕揚せられました。臣は不肖でありながらなお恩賜をかたじけなくしておりまして、且つは恥ずかしく、且つは恐れ多く、お恵みふかき御恩のあつさを私一身に受け、誠に忸怩たらざるを得ません。よってここに報徳記8巻を繕写し上表いたします。幸いに天覧を賜りますよう伏してお願いいたします。以上、誠に恐れかしこんで申し上げる次第であります。 明治13年庚辰10月 従四位 臣相馬充胤上表 岡松甕谷(おかまつ おうこく)の上報徳記表はその原案と思われる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年02月26日 18時16分26秒
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