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2021年03月13日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
内村鑑三がアメリカにおいて自らの使命について悩んでいるとき、同志社を開設した新島襄がアマスト大学への進学、神学者になることを強く勧め(これは新渡戸のサジェストによる)たことの意義は非常に大きい。これを明らかにしたのは、「ボーイズ・ビー・アンビシャス第2集米国留学編」の
「新島襄と内村鑑三―アマストへの道」
である。のちに内村は新島と疎遠となるが、内村鑑三を考えるとき、アメリカにおけるアマスト大学への進学を使命として推奨した新島襄の役割は限りなく大きい。


==「ボーイズ・ビー・アンビシャス第2集米国留学編」
「新島襄と内村鑑三―アマストへの道」
7 新島襄と内村鑑三―アマストへの道―
 新島襄年譜の「一八八五年(明治一八)年五月八日」の項に「内村鑑三来訪。内村をアマスト大学のシーリー総長に紹介、同校への入学あっせんをする」とある。新島襄は前年一八八四年四月六日に神戸から欧米旅行に出発し、イタリア・スイス・ドイツ・イギリスをへて九月三〇日にアメリカのボストンに十年ぶりに到着した。新島襄は一八六五(慶応元)年ボストンに到着し、一八六七年九月アマスト大学に入学し、一八七〇年七月卒業。理学士(Bachelor of Science)の称号を受けていた。
 新島襄へあっせんするよう頼んだのは、新渡戸稲造である。「新島襄の手紙」(岩波文庫)p.199には「一八八五年五月六、七日、ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学を訪問した新島は、同大学に留学中の新渡戸稲造から、ペンシルヴァニア州の福祉施設で働いている内村鑑三が精神的に参っているので激励してやってほしいと頼まれた。新島はボストンへ帰る途中フィラデルフィアで内村に会い、彼の悩みを親身になって聞き、共に聖書を読み、共に祈った。この時から両者の間に英語による文通が始まり、内村は新島を精神的な助言者として深く信頼した。新島は内村を救うにはアマスト大学に送ることが最善だと確信し、恩師であるシーリー学長(Julius H.Seelye)に推薦状を書き、内村の入学許可をとりつけた。内村は・・・アマスト大学二年間の在学中にシーリー学長の下で回心を体験した」とある。このアマスト大学入学の決断が、内村鑑三のその後の人生におけるキリスト教の伝道を決定づける。アメリカでの新島と内村との歴史的な邂逅であった。
 新渡戸稲造との五月六日(水)の出会いは、新島の英文の日記に次のように記されている。
 I called on President D.C. Gilman, 81 Saratoga Street. I was welcome to his house. Invited to the dinner with Dr. Thomas and Mr. King, 後藤, 太田稲造 were invited also. The students in the Department of Political Science. Ota took me round the different parts of the university. – its library – it is arranged on the subjects of different branches. Prof. Adams’ lecture room on history.(新島襄全集7「Essays and Diaries in English」p.238)
 五月七日新島はフィラデルフィアに来た。新渡戸に頼まれ内村に電報を打った。(同p.239)
 I came to Philadelphia. 太田 noticed Mr. Uchimura of my coming to Philadelphia 2 days beforehand. I reached Philadelphia before the dark. Went to a hotel on the Broad Street, only few steps from the depot. At Baltimore I was told by Mr. Ota that Mr, Uchimura is very gloomy〔暗い、陰気な、憂鬱な〕, and does not know what to do. I sent a telegram to him at once. 
新渡戸は内村が非常に陰気でなすべき事が分からないと語って、新島の助力を頼んでいた。
Early in the morning before the breakfast Mr. Uchimura came up, and called on me at the hotel. We had very pleasant conversation – talking on his future plan. Reading and praying.
His confession and determination to do the work for Christ. 
五月八日朝、新村襄は内村と朝食を共にし、彼の未来について楽しく会話し、聖書を読み祈った。内村はキリストのため働きたいと告白し決心を語った。新島はアマスト大学入学をあっせんする。
内村は五月一七日付けの新渡戸あての手紙に「新島氏と共に非常に楽しい時を過した。氏はちょうど良い時に僕を助けに来てくれた。目下氏の手紙を待っている」と綴った。
 新島と内村はこの二年前一八八三年五月八日から五日間開催
された第三回全国基督信徒大会の記念写真で隣に収まっている。





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最終更新日  2021年03月13日 23時27分34秒
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