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2021年10月17日
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報徳秘録316-3
大阪御城代の時、小田原にて中村、先生に云う。
この度御役目により年来の倹約、これがために立たず。
曰く、君、平生の倹、仕法もこの節の大用の為なり。
城代は天下の目代なり。
四国・九州をも進退すべし。
何を以て倹せんや。
借財をもなすべし。
足らざれば国中用金も取るべし。
専ら用を先んじ、第一番に万事を整え、御奉公十分に成されべく、いよいよ窮して勤めざる時は、上必ず是を宥(ゆる)さん。
その時に至りまた静かに国を起すべし。
もしこの説を過ち倹を用いば不忠の害あり。
平生は倹素を守り国民を恵む、忠なり。
御奉公に当っては、国中を廃して勤るは忠なり。
時異なれば、行ない黒白の差(ちが)いありて皆忠なり。
伯耆(ほうき)公是の意を失せりと。
中村感じていよいよ行わると云う。

報徳記  巻之四
 【2】中村玄順先生に見え教へを受く
 野州芳賀郡中里村の玄順という者は代々農民であったが、非常に世渡りの才能があってこびへつらう者であった。農事を好まないで、医術を学びあるは剣術を学び世に出ようとする志があった。しかしその業に達しないで人はこれを信じなかった。ある時妻に言った。「およそ辺鄙に身を置く時は、能力があっても名をなすに足らない。およそ名を揚げ幸いを得ようとすれば、その住所を選ぶ必要がある。だから私は江戸に出て、医術で名を顕わそうと思う、お前は一緒に行くか。」妻はこの言葉を信じがたいことを知ってはいたが、夫の命でやむを得ません、行きましょうと言った。玄順はそこで田畑を村民に預けて、妻子と共に江戸に登って、下谷の御成街道に住所を定めて、黒川玄順と門札を掛け、医業で世渡りしていた。もとからその医術が下手なために人はこれを用いない。歳月を経るに随って貧困はすでに極まって、その日の炊事も難かしくなった。玄順は生活を維持するいろいろな方法を尽したが、生計の道がないため、妻子の衣類を質に入れて、その日の食に当てるようになった。妻は嘆息して玄順に言った。「あなたの医術はもとから下手で、野州の辺土でもなお医業を立てるに足らない。
ましてや大都会で良医や博学の者が軒を並べる地に出て、幸いを求めることを計る。私はもとからそのよくないことを知っていました。しかし夫の命に随わない時は婦道が立ちません。やむを得ないで一緒にこの地に参りました。はたして貧窮はどうにもすることができません、なおこのようにして歳月を送るならば、共に飢えることでしょう。私にいとまを給わるようお願いします。女の子2人のうち1人は、私がこれを携えて故郷に帰りましょう。人の田を耕してもなんとか2人の口は養いましょう」と怨みを含んで離別の書を求めた。玄順は愕然としてこれを止めたが了解しない。やむを得ずその求めに応じた。妻は一人の女の子を携えて故郷に帰った。玄順はいよいよ貧苦に堪えなかった。
かって細川侯の藩医で中村という者と親しかった。そのために行って慈しみ憐れみを求めた。中村は言った。「あなたは負債が多く貧窮が甚だしい。私は微力で救うことはできない。すぐに家財を借財に当て家を廃して、私の方に来たほうがいい。私があなたを扶助する他に方法はない」と言った。玄順はその言葉に随って家を廃し、中村の長屋に来て、食客となって、あるいは薬種を刻み、代わりに脈をみて歳を経た。ところが中村は急に病気にかかって死んだ。子はなかった。家が断絶に及ぼうとして、す。細川侯はこれを憐れんで、数年中村が懇意にしている玄順であるから、これを養子として家を継がせた。ここに中村の不幸は玄順の幸いとなって、君の扶持を頂く事ができた。しかし元からその医業は拙いために、利を得ることが少なく、財を費やすことが多いために、たちまち借金が25両となった。これを償おうとしたがその道を得ない。ある人が告げて言った。「野州桜町陣屋にあって、廃村を再興する道を行う二宮先生という人がある。常に無利息金を貸して人の艱難を救うと言った。当時、西久保宇津家の邸内にいらっしゃる。あなたはこの人について無利息金を借りて、負債を償うならば大きな幸いであろう」と。玄順は大変に喜んですぐに西久保に行って、横山周平に逢って先生に会見できるよう求めた。横山はこれを告げた。先生は言われた。「私には仕事がある。どうして医者に逢って話をするいとまがあろうか。」とこれを許さなかった。玄順は退いて再三来て止まなかった。横山はその貧しいことを憐れんで先生に請うことはなはだ切実だった。先生は横山のためにやむを得ず玄順に面会した。これが細川侯の仕法の発端である。





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最終更新日  2021年10月17日 18時55分21秒



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