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2022年02月20日
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カテゴリ:遠州の報徳運動
十一、駿河西報徳社
1 所在地
 駿河国安倍郡大里村石田七十三番地
2 沿革
 安政四年有渡郡石田村石恒治兵衛というもの、その村内の衰頽を憂い、二宮尊徳の門下故安居院庄七の教えを受け、報徳社を設けこれの救済の道を講、数年でその効を奏した。近隣これをならっ結社したものがはなはだ多い。そこでこれを総括するために明治十三年本社を創立し駿河西報徳社と称した。
3 組織及び事業
 本社は各支社及びその社員をもって本社員とし、毎年四回通常総会を開き、社員を会し、左の事業を研究す。
 一 耕耘の改良・肥培の法を究める事
 一 殖産興業に関する事
 一 不正の利を貪らず公益を図る事
 一 勤倹を行い窮民を救済する方法
 一 荒蕪を開拓し水利を便にし山林を繫殖させる事
 一 勧業の方法を講ずる事
 一 風俗矯正の事
 本社の報徳金は土台金・善種金・加入金の三種とし、土台金は社員特志をもって寄せ入れる金で、これを本社の基礎金として確実な銀行に預け置いてその利子を以て本社の経常費を支弁する。
 善種金は篤志者の寄付によるもので,その支出の大要は次のとおりである。
 一 社員の力耕者、特別善行者に褒賞金品を付与する事
 一 社員の非常災害に罹った時の救済
 一 各支社において勧業奨励費を要する時幾分を補助する事
 一 荒蕪地開拓・道路堤防・用悪水路の新設及び修繕費を補助する事
 一 臨時社費支弁の事
 一 社員の家政整理のため五か年賦・七か年賦・十か年賦等に貸与して年賦返済の一か年賦を納めさせる事
 加入金とは社員各自が非常予備のため本社に積み立てて置くものをいう。よって社員は神徳皇徳の諸恩に報いる意味で神納金と称し、社員一名につき一か月金一銭までを差し出すを例とする。後をこれを善種金と改称し、非常を救恤し、無利息貸付を行い、家政を回復させる、あるいは公益事業に義捐する資本となし、加入金は十か年をもって一小期とし、六十か年をもって一大期とし、年々四回の大会に積み立てさせ、社員の非常予備に貯蓄する。明治八年以来連綿継続して来て、現今第三期中に属する。そしてやむを得ない事情があって元金割戻しを乞う者にはこれを許し、負債償却その他救済に支弁させることもある。
4 難村救済
 旧有渡郡石田村は嘉永年中より風俗遊惰に流れ、負債増加し破産に瀕するものが多く、村民は生計に窮し、これを回復する方法がないようになった。同村里正石垣治兵衛はこれを憂い、救済をはかったけれども未だならなかった。その時に安居院庄七が庵原郡大内村にあって、報徳の道を講ずることを聞いて、有志者とはかって往って救済の方法を問い、後にこれを治兵衛の家に招き、その教えを受けること、三年。風俗を改め、徳義を尊び、業を励まして、村治おおいに挙がった。農事改良等に至って、第一に稲種を選び水選法を行い、あるいは他の地方と良種の交換を行い、定規をもって挿秧すると共に畦畔の屈曲を改め、高低を平均し、用水を便にし、排水路を設け、あるいは水田を開田となし、大いに収穫の増加を見るに至った。また各自の収穫を調査し、その最も多量のものに賞品を与え、調査表を作り、これを豊年鏡と称し、社員に縦覧させる等、農事上益することが少なくなかった。朝夕の余業としては縄をない、わらじを作り、これを他の町村に売って、貯蓄し、負債償却の資本とした。安政四年より明治三年に至る十四年間に救済の方法が大成したと告げるに至った。
 近時にいたって本社は一層社員及び支社を督励して勤倹の実を挙げさせ、資産の一部及び特殊の積立金等をもって国庫債券の応募、軍事費の献納、恤兵奨兵の義捐等をなし、ますますこの道の拡張をはかりつつある。
5 本社及び支社社員数、資産〔総計三社五三五人〕(略)
6 創設者石垣治兵衛履歴
  天保三年十一月安倍郡大里村石田に生まれる。八歳より同所牧牛寺住職澤翁に就いて習字読書を学び、十八歳の時に父三郎左衛門が病にかかって公務を弁じ難いと、里正代理を命じられた。当時石田村の困窮はその極に達していた。これを憂い、安居院庄七を家に招いて報徳の教えを受け、その教旨に則って救済の事に尽力し明治三年に至る十四年間で遂にその事業を完成した。
  万延元年父が没して里正となり、後明治三年にこれを辞した。
 明治四年駿河甲斐伊豆の諸国に至り報徳の道を教え、各自の家政を調査し歳出歳入を詳らかにして負債償却の方法を立てさせ、三十余社の報徳支社を設立し、これを総括するために春夏秋冬の四時に大会を開く事を定めて、同村牧牛寺を会場に定めたが狭隘となったために、静岡市宝泰寺を借り受けて三か年会場に充たしたが、なお不便を感じ、本社会場を建築するに決してその費用に報徳善種金及び社中有志者の寄付金を以てし、明治十三年八月起工して翌年十二月落成を告げた。同十五年一月大迫県令の臨場を請い、開場式を挙行した。
 明治十二年三月静岡県会議員に当選する。
 同十四年有渡郡安倍郡勧業委員に当選する。
 同十七年七月静岡県勧業諮問会員申し付けられる。
 同十八年有渡安倍郡勧業委員に当選する。
 同年七月本県知事の命により、遠江国報徳社岡田良一郎、駿河東報徳社長高田宜和等と協議し、報徳の道の拡張のために毎月十七日を期して静岡県会議事堂において駿遠二州報徳学集談会を設け、明治十九年七月に至る満一か年間継続執行した。当時支社の総括農事改良及び支社の巡回、各地に報徳の道の伝播の要務多端で老体で自由に任せないため、このため本社社長を辞す。時に明治二十九年一月だった。以来本社内にあって監督の任に当たる。
 以上記載のように安政四年より今日に至るまで専心一意、報徳方法によって社会の公利公益を増進しようと欲し、一家一村の救治に従事する。これによって明治二十六年本県知事より左の賞状を受ける。
                有渡郡大里村  石垣 治兵衛
  夙ニ志ヲ公益ニ注キ旧石田村ノ疲弊ヲ憂ヒ率先シテ之れが回復
  ヲ謀リ其他ノ改良種交換肥料実験等意ヲ用ヒサルナク其ノ行為
  洵ニ奇特トス依テ為其賞木盃壹組ヲ下賜候事
     明治二十六年十二月十三日
 静岡県知事従四位勲四等小松原栄太郎
 その他天災地変救済義捐金等のため銀杯木杯並びに賞状を受けたこと前後数回に及んでいます。
7 現任社長の履歴
        安倍郡大里村石田二十六番地
                石垣茂作
                  安政六年八月十一日生
 明治十二年二月五日有渡郡石田報徳支社長に選挙される
 同十三年九月二十九日有渡郡石田村衛生委員となる
 同十四年十一月十六日有渡郡第二十四学区学務委員申し付けらる
 同十六年一月九日公立静岡病院負担町村聯合会議員に当選する
 同年七月三十一日公立静岡病院掛に当選する
同十七年七月有渡郡川辺村組合聯合会議員に当選する
同年十一月二十二日有渡郡静岡札の辻町始め有渡安倍両郡三百十六町宿村聯合町村会議長に当選する
同年同月二十五日有渡郡川辺村組合衛生委員、静岡県より申し付けらる
同年十二月二十六日静岡病院監査役に当選する
同十八年一月駿河西報徳社幹事に選挙される
同十九年一月駿河西報徳社長に選挙される
同二十一年四月五日安倍川水防負担静岡札の辻町外九十二か宿町村会議員に当選する
同年五月二十八日中原尋常小学校理事を有渡安倍郡長より嘱託される
同二十二年一月十五日町村制執行されるに付き自治造制大里村準備委員に当選する
同年三月十五日有渡郡大里村村会議員に当選する
同年七月五日大里村名誉助役に当選する
同二十三年十月八日有渡郡県会議員に当選する
同二十四年七月二十一日大里村名誉職村長に当選する
同二十五年六月十六日有渡安倍郡農産海産品評会事務委員を命ぜられる
同年二月二十二日有渡郡県会議員定期改選に当り再選する
同二十七年十月二十七年農商務統計局調査委員を嘱託される
同二十八年三月十三日大里村名誉職村長に当選する
同年四月二十二日有渡郡大里村村会議員定期改選に当り再選する
明治二十八年五月十八日日本赤十字社有渡郡大里村委員を嘱託される
同年二月一日有渡郡県会議員定期改選に当り再選する
同年八月十日安倍郡大里村農会評議員に当選する
同年同月十五日安倍郡大里村農会会長に当選する
同年同月二十五日安倍郡農会評議員に当選する
同年九月二十四日安倍郡農会幹事に当選する
同二十九年十月十三日安倍郡群会議員に当選する
同三十年五月二日静岡県会議員に当選する
同年同月二十日静岡県名誉職参事会員に当選する
同年大里村名誉職村長に当選する
同年四月一日明治二十七八年戦役の労により木杯一組を下賜される
同年六月八日地方衛生会委員を命ぜられる
同三十一年十二月安倍郡名誉職参事会員に当選する
同三十二年一月二十四日静岡県会議員に当選する
同年二月十七日名誉職参事会員に当選する
同年三月十四日静岡県学事臨時調査委員に当選する
同二十七八年戦役の際、軍費の内へ金二百円駿河西報徳社代表献納したことによりその賞として木盃一組明治三十年六月一日下賜される
同三十三年九月十三日安倍郡農産及び水産品評会柑橘梨実審査委員を嘱託される
明治三十四年十一月十九日安倍郡大里村名誉村長に当選する
明治三十五年六月十日日本海員掖済会静岡支部安倍郡委員を嘱託される
同三十五年十月一日静岡県山林協会委員を嘱託される
同三十六年三月安倍郡奨兵会幹事に当選す
同三十七年六月三十日静岡税務署所得税調査委員に当選する
同三十八年六月八日日本海員掖済会静岡支部安倍郡委員を嘱託せらる
同三十八年十一月四日安倍郡大里村名誉村長に当選する
その他天災地変救済義捐金を行った賞として木盃並びに賞状を受けること数回あった





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最終更新日  2022年02月20日 12時10分10秒
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