テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:留学-学習編
一般的に、日本の学生は、質問が苦手。
そもそも、日本の中学、高校で、授業中に質問することなんてあるだろうか? せいぜい、「今いった言葉を漢字で/スペルで書いてください」とか、「そこ、○○年じゃなくて○○年じゃないですか?」なんて、質問と言うよりは突っ込みが主じゃないだろうか? 第一、教師が説明することは、大体教科書に書いてあるわけで、授業中に疑問ができたら教科書読んで解決するほうが手っ取り早い。 私も、そういう勉強の仕方に慣れてたもんで、留学先の大学で、困った。 小クラスでは、周りが活発に質問しあい、もちろんそれが成績に響くことも分かってるのに、発言することが出来ない。 英語が出来ないっていうんじゃなくて 聞くことがないのだ もっと詳しく言うと、 生徒は、教科書に書いてあること以外のトピックについて質問するんだけど、そんな質問思いつかない。 「コルテスのメキシコ征服の手助けをしたインディアン女性の名前は何?」 なんて質問がでることはまずなく、 「Malinche(↑の女性の名前です)がコルテスの手助けをした理由って、何だったんだろう?」 なんてことを質問するのだ。 私としては 「Malincheは、コルテスのメキシコ征服の手助けをしてインディアン女性です」 という事実を読んで、ハイ、おしまい。という習慣がついているので、そんなことを質問しようなんて考えすら浮かばない。浮かばないから、当然質問しない。 これは、不利。 日本の高校時代の「質問」から、ちょっと頭の転換が必要になってくる。 テキストや講義で欠けてる情報を探して質問するのもいいけど、トピックの内容に関する、素直な疑問を投げかけてみるのだ。 例をも一つ。 「市場が成立する条件は、AとBとCです」 といわれて、うんうん、A、B、C、とノートに書くだけでなく、 「例えばインドはCが欠けてるけど、市場があるのはどうして?」 「ブラジルはAもBもCもあるけど、強力な市場がない。その理由は??」 なんて疑問を持ってみる。 たまに、全然的外れな質問することもあるけど、そんな時は、教授や気の効いたクラスメートが上手くいい方向に持って行ってくれる。少なくとも、だんまりの生徒よりはこういう場違いな質問をする生徒のほうがウケはいい。 数をこなせば、必ず "Good point." "Good question"といわれる機会があるはず。 これ、ピアノや水泳と同じく、一度コツがつかめると、大体どんなトピックでも、似たような視点からの質問が出来るようになる。 覚えることばかりに必死にならないで、覚えたことに挑戦してみる心意気が大切。 (日本の高校の授業で、上のような質問をしたら「そんな議論をしていたらテスト範囲カバーできないぞ」って言われるのかなあ。逆に、アメリカの授業で教授に「このスペル教えてください」とか、「そこ間違ってませんか」なんて質問すると、教授によってはかなりむかつくらしいので注意。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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初めておじゃまします。
このコメント、非常に実感があります。本当にアメリカ人や、ヨーロッパの人はよく質問する、という印象があります。一方、自分ら日本人は、「特に質問することがいつもない」という状況。 これ、わかる人いる?と聞かれても、日本人はついつい黙ってしまう。ひとつには、間違えて答えるというのは×、恥というのが日本にはありますね。上記に描かれているように場違いな質問しても問題ない、という風土がないと思っています。 これからも楽しみにさせていただきますね。 (2005.07.22 21:23:02)
小さなお子さんと話してると『なぜ○○は××なの?』なんて、時には突拍子のない質問なんかをしてくる子供は少なくはないですよね。一般的な私達日本人が、そんな子供のように無邪気な好奇心を失ってしまう背景に、日本人独特の感情を押し殺す、“我慢の文化”が関係しているのでは?なんて思います。例えば、小さな子供でも、突拍子のない質問をすれば、たいていの日本人の親や先生は怒るか、誤魔化すかのどっちかですから。。。 ^^; そう考えると、アメリカの授業では、思い切って自分自身を“子供化”してみるのがいいのかもしれませんね。その時だけでも、大人の自分を忘れる、みたいな。それに、大企業なんかの、たいていのヒット商品って、開発者が“もうヤケクソ!解らん~。”って悩んだ末に思いついた“子供の様な無邪気なる発想??”が意外にも世間で認められたって事は、多いかなと思います。(NHK放送『プロジェクトX』参照 ^^; )
(2005.07.22 23:13:21)
始めの頃、“why?”の質問をされるのが嫌いでした。
私としては、“いや、別にただそう思うだけ。理由なんてないです”以上。 日本人は抑えつけらる文化という一面もありますが、アメリカは逆に人にもよりますが、自分をいつでも正当化させようとする人もいますよね。 ホントアメリカと日本って逆の文化を持ち合わせてるように思います。 (2005.07.23 02:32:38)
isoさん
はじめまして。訪問&書き込みありがとうございます。興味を持っていただけて光栄です(^^) 岡田玲子さんの「レイコ@チョート校」って留学記に、数学の授業など、次に学ぶセクションを宿題に出されて戸惑う場面が書かれています。 まだ習っていないところだから、当然できるわけない。心配して次の日の授業に望むと、授業が始まったとたんクラスメートがいっせいに出来なかった箇所の説明を求める質問を始め、先生がそれを解説することでそのセクションを理解していくんですね。 日本の宿題の観念って、先生に教わったことの復習と確認ですよね。だから、こんな宿題出したら「時間の無駄」って思われそうですが。こういう授業で、自分の知らない箇所や間違いを自覚して、それを解決していくことで考える力をつけていくのって、学校外のあらゆる場面で大切になってくると思います。 また、意見を聞かせてくださいね。 (2005.07.23 17:27:40)
Marisolさん
書き込みありがとうございます。 大人になる/頭がよくなるにつれて、不思議、なぜ?と思うことがなくなって来るって、実は知識が増えるからじゃなくて、頭が固くなるからなんですよね。 1を聞いて、10を知るなんて、(これはこれで大切だけど)「やたら質問せずに自分で考えろ」って、暗に言ってるようだし(^^; 日本の文化っていう面から見ると、西洋文化が「発明の文化」であるのに対して、日本は「適応の文化」なんですよね。新しい発想っていうのは苦手で、すでにあるものをどんどん進化させていくタイプ(自動車、携帯、PC機器、アニメ、等々)。 エジソンが卵を温める話とか、コロンブスの卵とか、ああいう発想のできる人が、今後の(社会教育を含む)教育の中で出てくるといいですね。 (2005.07.23 17:35:08)
Cozさん
書き込みありがとうございます。 アメリカ人が、日本人よりすごい発想が出来る、とは必ずしも思わないんですけどね(たいていの生徒は、どーしようもない突込みしかしない、という印象もありますが(^^;) 自分も、Whyの質問、するのもされるのも嫌いです。感情に流されるまま生きているので(笑)。 でも、そう聞く、聞かれる文化の中に入れられると、いやでも「何で??」と自問する習慣がついてきますよね。2つの文化を体験することで、2つのいいとこ取りの質問マナーが身につけばいいのでは?と思います。 (2005.07.23 17:42:15) |
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