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『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』100万部?日記

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2011.07.31
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カテゴリ:歴史の話
昨日に引き続き、歴史の話で申し訳ない。



平清盛の経済面を考える上で、欠かせない勢力が奥州藤原氏です。


平泉が世界遺産に登録されたことで、ますます注目が高まっている奥州藤原氏ですが、

経済面でいうと、過小評価されたり過大評価されているのが現状だと思います。



まあ、それはおいおい話をするとして、平家との関係でいうと一つ謎があります。

それは、

「なぜ平家は奥州藤原氏を滅ぼさなかったのか?」

という点。

源頼朝は、平家滅亡の4年後にあっさりと奥州藤原氏を滅ぼしています。

逆に、頼朝以上に権力を握っていた清盛は、なぜ奥州藤原氏を倒して

奥州産出の黄金や馬を一人占めしようとは思わなかったのでしょうか?



もちろん、平家には奥州藤原氏を倒す特に明確な理由はなかったが、

頼朝には明確な理由があった、という面もあります。

「源義経を匿い、まだ生きているかもしれなかったから」

「もともと奥州は祖先である源頼義・義家が戦いで勝利した土地だから
(前九年・後三年の役)」

「京都の朝廷と戦うためには、背後の東北を安定させる必要があったから」


などなど。


しかし、貿易における資源の安定供給や軍事力における馬の役割を考えると、

平家にとっても奥州を押さえていた方が賢明だったようにも思えます。


では、なぜ清盛は藤原3代目・藤原秀衡と敵対することなく、

1170年に鎮守府将軍を与えたのか。

(清盛の死後の1181年には、陸奥守も与えています)



平家の本拠地から東北は遠かった、ということもあるのでしょうが、

経済的な理由もあったと思います。



それは、日宋貿易の性質に関係します。


貿易には、直接貿易・間接貿易・加工貿易・中継貿易・密輸などいろいろな形態がありますが、

いまの日本は基本的に加工貿易、日宋貿易は間接貿易です。


間接貿易とは、商社などの仲介者を通して海外取引を行うことをいいます。

日宋貿易は、日本国内の産物を博多に住む宋の商人に託して

宋本国と取引をしていました。


しかし、間接貿易にもデメリットがあります……。



つづく








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最終更新日  2011.08.02 02:02:43
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