カテゴリ:歴史の話
大河ドラマ『平清盛』第31回「伊豆の流人」の感想です。
大番役の話がリアルでしたねー。 関東武士は関東にずっといたように思われていますが、江戸時代の参勤交代のように 度々京都に行っていたのです。 関東人も京都の情勢には詳しかった、ということです。 峰竜太さん演じる伊東祐親を単なる悪役にはしなさそうですね。そのあたりが好きです。 今後、楽しみな登場人物がまた一人増えました。 それにしても、清盛も悪い顔をするようになりましたねえ。 また、回想シーンが、これだけたびたび入ってくる大河も珍しいです。 お葬式の場に、後白河上皇が比叡山の天台座主まで連れてくる話はやりすぎの感もありますが (後白河と比叡山は基本的に仲は悪い)、後白河との対立を早めに出してきたのは、 ストーリーのスピードアップには欠かせない良い布石だと思います。 池禅尼の死去のシーンですが、頼盛にだけ「平家を絶やさぬように」 と告げたのは、もの凄くニクい演出でしたねー。 きっと平家の都落ちのシーンで使われるのでしょう。 この伏線の貼り方は、いつもながら素晴らしいです。 博多から大輪田泊(神戸港)に国際貿易港を移す話は、恥ずかしながら拙著に詳しいので よく知りたい方はこちらをご参考までに。 ↓↓↓ ![]() 『経営者・平清盛の失敗』(第1章がそういう話です) ――――― 第31回「伊豆の流人」 あらすじ 1164年、伊豆・蛭ケ小島。そこに18歳に成長した源義朝の子・頼朝(岡田将生)がいた。5年前、清盛(松山ケンイチ)によって流罪となった頼朝はここに流され、家人の藤九郎(塚本高史)とともにひっそり暮らし、地元の豪族・伊東祐親(峰竜太)は頼朝を厳しく監視していた。 京の清盛は、日宋貿易実現に向け、朝廷での力をのばして港湾の整備、瀬戸内海の開削などに乗り出そうとしていた。 その年の11月、後白河上皇(松田翔太)と対立する二条天皇(冨浦智嗣)に子が生まれた。後白河上皇は、何かにすがるように仏教に深く帰依するようになった。清盛は後白河上皇に蓮華王院(三十三間堂)を献上し、嫡男・重盛(窪田正孝)を公卿にするよう働きかけ、実現させる。 伊豆の伊東祐親は内裏を警固する大番役として京へ上ることとなった。家人たちに頼朝の監視を怠らないよう厳しくいいつける一方、娘の八重姫(福田沙紀)には、勤めを終えた後、美しく成長した姿を見るのが楽しみだと優しく声をかけた。 京では後白河上皇が癇癪を起こしていた。蓮華王院に二条天皇が訪ねてこないためだ。そのころ清盛は重盛を連れて二条天皇に謁見していた。そこで突然重盛は二条天皇に、父の気持ちを察して蓮華王院へ行くことを勧める。二条天皇は不快感を表し立ち去ると、清盛は激しく重盛をしかりつける。 その夜、重盛は妻・経子(高橋愛)と語り合う。かつて鳥羽法皇(三上博史)と崇徳上皇(井浦新)の仲をとりもとうと力を尽くした清盛の姿を思い出し、今の父は修羅の道を突き進んでいるとしか思えないと話した。 ――――― 次回は、第32回「百日の太政大臣」。 頼朝と八重姫の話になるのでしょうか? だとすると、一気に10年以上飛んで、1175年の話になるのですが…。 さて、どう扱うのか見物です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.08.06 00:00:20
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