9月27日の月一回の日曜昼デモは、3日ほど続いた熱が下がりきらぬままに参加した。体を動かしたせいか、すっきりした気分でデモから帰ってきた。翌日も快調のまま普通に1日を過ごして、夕方、イオとの散歩に出かけた。
イオは、家の周囲300メートルほど歩いてだけで動かなくなってしまった。行くでも帰るでもないので、駆けっこのまねをして家に連れ帰った。向こう見ずというか、年寄りの冷や水というか、15歳になってもイオは駆けっこになると興奮して走るのである(飼い主に似たのだ、と妻は言うが……)。
往復で600メートルにもならない散歩から帰ってきたら、急に熱っぽくなってきた。その月曜の夕方から木曜の夜まで、ふたたび寝付いてしまった。
ところが、金曜の朝になったら、なんとなく熱が下がった気分である。いつものように、ごく普通にデモに出かけるのである。
集会@勾当台公園野外音楽堂。(2015/10/2 18:30)
フリー・トーク。(2015/10/2 18:10~27)
10月に入って、集会とデモは冬時間になる。30分繰り上がって、午後6時から集会、6時30分からデモとなる。30分早くなったのに、すっかり暗くなった公園で集会が始まった。
150回目となる金デモの集会は、主催者の川内原発1号機に続いて2号機も再稼働するらしいという報告から始まった。その挨拶は、「向こうが止めないかぎり、こちらも止めない。みなさん、これからも頑張りましょう」と締め括られた。
フリー・スピーチの始めにいくつかの告知が行なわれた。
(1) 10月3日午後4時からみやぎ生協太子堂店で長町アークス町内会主催の「原子力発電のことをもっと知ろう 事故が起きたらまず何をしたらいいの?」という学習会が篠原弘典さんを講師に迎えて開かれる。
(2) 10月4日午後3時からは、仙台市黒松市民センターで「辺野古に基地を作らせない沖縄連帯10・4仙台集会」が開かれる。
(3) 東北文化学園大学ではとして後期学期の水曜日5時限(16:40~18:10)に特別講座「震災復興と原発問題」が開かれる。原発や再生エネルギーなどについて特別講師を招いての講義で、一般の聴講者にも開放されている。講義は、1号館2階1257教室で行なわれる。
続いて、山形県は2015年度、再生可能エネルギーを活用した発電事業者から電力を買い取り、一般家庭や公共施設に供給する新会社「山形県新電力」(仮称)を設立するというニュースが紹介された。16年4月の電力小売りの全面自由化を視野に入れた都道府県レベルでのこのような会社設立は全国で初めてで、電力自由化が脱原発の推進力となることが期待されている。
また、原発を推進する電力会社を金融機関が支えているが、唯一そのような企業に融資を行なわない金融機関として労働金庫があることが紹介された。私たちの預金が原発を推進する企業を支えることを拒否するために労金を金融機関として使うことが望ましいという話であった。
労金と言えば、現職のころ、職場の組合で労金対策委員長をけっこう長くやっていた。組合が保証人となる労金から組合員への融資の審査が主な仕事で、同僚の生活設計の役にたてる点ではやりがいもあって楽しかったが、お金が絡むので2回ほど深刻な話にもつき合わざるをえなかった。私もまた労金の融資を利用して、今住んでいる家を建てたのである。
勾当台通りを渡る。(2015/10/2 18:39)
定禅寺通りを越えて一番町へ。(2015/10/2 18:46)
デモが出発する段になって、声がほとんど出ないことに気付いた。コールに合わせて、声を張ろうとするとかすれて声にならない。家を出るまでは、ずっと小さな声で済んでいたのであまり気にならなかった。熱は下がったのだが、喉に後遺症が残ったようだ。
勾当台公園から一番丁に入るまでの道は、あまり明るくはない。公園の周囲はとくに暗くて、シャッターを押してはみるがほとんど使いようがない写真しか撮れない。
だから、定禅寺通りを越えて入って行く一番町は光り輝いているように見えてしまうのだが、そこは一番町のなかではあまり明るい場所とは言えない。
一番町を行く。(2015/10/2 18:47~50)
いつもより参加者が多いことは集会の時から感じていたが、一番町に入ってから60人と一匹が参加していると教えられた。参加者をカウントする担当スタッフがいるのだが、仕事のこともあってデモ出発ぎりぎりに参加する人も多いので、いつもデモが一番町に入ってから参加者を数えている。
いつもの元気で、賑やかに。(2015/10/2 18:48~50)
一番町広瀬通り。 (2015/10/2 18:55)
ぶらんどーむ一番町。(2015/10/2 18:58、19:00)
『nature』523巻7558号に「放射線業務従事者を対象とした大規模研究で、低線量放射線が白血病のリスクをわずかながら高めるという結果が」報告されたというレポートが掲載されている。 科学的な立場からはとくに驚くほどのニュースではないが、原発推進の学者の中には困ってしまう人間もいるのではないかと思う。「低線量被曝のリスクが明確に」と題する『natureダイジェスト』から抜粋、引用する。
国際がん研究機関(IARC;フランス・リヨン)が組織したコンソーシアム……は、バッジ式線量計を着けて仕事をしていたフランス、米国、英国の計30万人以上の原子力産業労働者について、その死因を検証し(研究の時点で 対象者の5分の1が死亡していた)、最長で60年に及ぶ被曝記録との相関を調べた。
宇宙線やラドンによる環境放射線量は年間約2~3ミリシーベルト(mSv)で、対象となった原子力産業労働者たちは年間でこの値より平均 1.1mSvだけ多く被曝していた。今回の研究によって、被曝線量が高くなるのに比例して白血病のリスクが上昇することが裏付けられたのと同時に、極めて 低い被曝線量でもこの線形関係が成り立つことが証明された(ただし、白血病以外の血液がんについては、被曝線量の増加とともにリスクが上昇する傾向はあっ たものの、その相関は統計的に有意ではなかった)。
……
調査で得られたデータの外挿により予測した結果、被曝線量が10mSv蓄積するごとに、労働者全体の平均と比較して白血病のリスクが約3%上昇することが分かった。
ここで注意すべき点は、年間被曝量が誰もが浴びる環境放射線より平均1.1mSvしか高くない労働者の調査結果だということにある。このことは、福島の汚染地へ帰還が年間被曝20mSvを前提にすることがどれほど無謀で野蛮なことかを意味している。
アリソン・アボットという報告者は次のようにも述べている。
「被曝量はどこかに閾値があって、閾値未満の低線量被曝なら無害であるに違いない」と信じる人々の希望を打ち砕くと同時に、科学者には、日常的な被曝のリスクの定量化に用いることのできる信頼できる数字が得られたといえる。
「健康被害を与える放射線量には閾値があるので、低線量被曝は問題にならない」と、非論理的かつ非倫理的に主張してきた御用学者にとって、けっこうな気付け薬にはなるだろう(薬が作用する神経があれば、ということだが)。
東二番丁通りを渡る。(2015/10/2 19:12)
ダイエー前。(2015/10/2 19:13)
仙都会館前。(2015/10/2 19:15)
一番町から青葉通りに出ると、夜デモであることをしみじみと実感する。それほどに明るさの落差が大きい。
地下歩道を潜ってデモの先回りをして、東二番丁通りを渡って来るデモの列を待ち受けているとき、若い人が話しかけてきた。そういえば、一番丁に入ったあたりからこの若い人を何度か見かけていて、少し不思議には思っていたのだった。
「デモに入ってと声をかけられたが、入れなくて……。それでも歩道を一緒に歩いてきた」という。「今度は最初から入ったら」と言おうとしたのだが、声がかすれてしまって、彼には聞き取れなかったようだ。歩道の上だったが、彼は最後までデモにつき合ってくれた。