川内原発2号機が再稼働するとか、愛媛県議会が伊方原発の再稼働に同意したとか、不愉快なニュースが続いているが、それを帳消しにするくらいの良いニュースもある(原発を止めるのがほんとうの「帳消し」だが)。
岡山大学の津田敏秀教授が医学専門誌「Epidemiology(疫学)」に発表した論文で、福島県が実施した原発事故当時18歳以下だった約37万人の県民の健康調査の結果を分析したところ、甲状腺癌の発生率が国内平均の「50~20倍」に達していたと結論している。
チェルノブイリ原発事故では5、6年後に甲状腺癌の患者数が増加したことから考えれば、これは必当然の結果である。ウクライナ人も日本人もまったく同じ生化学的肉体を有する同じ人間であり、放射線の物理的作用に地域差があるはずもないのだから、おなじ被害が発生することは考えるまでもない。 国際癌研究機関(IARC)が組織したチームが、いかなる閾値もなく低線量被曝でも白血病リスクは確実に上昇するという報告したことも、福島での甲状腺癌の高発生という結論も科学的、合理的な判断からすればごく常識的な結果に過ぎないが、原発推進勢力が権力を手にしている状況では、どちらも重要な科学的知見の公表であり、ニュースである。
ベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチさんがノーベル文学賞を受賞したこともとても素晴らしいニュースだ。『戦争は女の顔をしていない』や『チェルノブイリの祈り』などの作品で、反戦、反原発の立場を明確にして活動している作家、ジャーナリストである。戦争法案に反対し、原発再稼働に反対している私(たち)には心強い受賞である。
彼女は福島事故後のメッセージで、「広島、長崎の原爆投下とチェルノブイリ事故後、人間の文明は『非核』の道を選択すべきではなかったのか。原子力時代から抜け出さなければならない。私がチェルノブイリで目にしたような姿に世界がなってしまわないために、別の道を模索すべきだ」と語ったということだ(毎日新聞)。
ノーベル平和賞も私(たち)を奮い立たせ、元気づける人びとが受賞した。「アラブの春」のあと、チュニジアの民主化に貢献したとして国民の対立解消につとめた4団体「国民対話カルテット」に平和賞が贈られた。
チュニジアはまだテロが続く不安定な状況で、必ずしも諸手を挙げて喜べる状況ではないのだが、一方で、憲法を守ることで平和を追求する日本の民間団体が受賞する可能性が一段と高まったように思えるのは私だけではないだろう。憲法を守ることで優れた民主主義を求め、戦争に反対する民間団体は、民主的対話を追求した民間団体に優るとも劣らないのは間違いない。
もう一つ良いニュースがあった。極東国際軍事裁判(東京裁判)と南京軍事法廷の記録など「南京大虐殺」に関する資料がユネスコの認定する世界記憶遺産となった。認定申請したのは中国政府なので、自公政権は当然のように反発しているが、これを歪曲することなく真摯に過去の歴史に向き合う契機としなければならない。ユネスコが認めたということは、南京大虐殺に関する日本の歴史修正主義者(自公政権)の主張が世界でいかに孤立しているかを示している。
今回の世界記憶遺産認定は、戦争法制や歴史認識において明らかに戦前の大日本帝国へ退化している自公政権への警告になるはずだが、政権にはそんな認識は期待できないだろう。それを実態化(現勢化)するのは、やはり私たち国民の仕事に違いない。
集会@肴町公園。(2015/10/9 18:10、14)
午後6時の肴町公園はもう真っ暗である。集会が始まる前に数人と挨拶して言葉を交わしたが、そのうち二人との話題は風邪のことだった。一人は先々週から続いた私の風邪を心配して、もう一人は流行りだしたインフルエンザを心配しての話題だった。秋になったと思ったら、なんとなく気分は寒い冬に向かうのだった。
フリー・トーク。(2015/10/9 18:13~25)
集会は、主催者挨拶の後、三つの告知ではじまった。一つは、東北文化学園大学の公開講座「震災復興と原発問題」(後期:水曜日5時限16:40~18:10、1号館2階1257教室)の案内で、10月14日は放射能対策支援室いずみ顧問の篠原弘典さんの「日本の原子力の歴史を問う」、10月21日は福島原発告訴団団長の武藤類子さんの「福島の現状(仮)」と講師もテーマも私たちにはとても興味深い講義が続いている。
二つ目の告知は、木村真三さんの「ベラルーシ・ウクライナと飯舘村」と題する講演会の案内、三つ目は戦争法制に反対する「10・19街宣(リレートーク)」の案内で、場所と時間はチラシの通り。チラシの中で「エルパーク仙台」というのは「旧141ビル」、「仙台平和ビル」というのは「旧佐々重ビル」のことである。
なお、木村真三さんの講演の録画がユーチューブにアップされる予定だという。
人と出会う場所では積極的に原発の話をすることにしているというスピーチもあって、よく行く食堂のおばさんがキッチンで「再稼働反対!」とか「原発いらない!」と一人コールをしているのだという。日本人の大多数が反対しているのだからさもありなんというなんとも微笑ましい話だ。
また、環境省が加美町・田代岳の指定廃棄物最終処分場候補地への立ち入り調査に連日やって来るのだが、そのたびに「加美町・放射性廃棄物最終処分場建設に断固反対する会」の人たちが中心となって阻止しているという報告もあった。
一番丁まで。(2015/10/9 18:36)
一番町を広瀬通りまで。(2015/10/9 18:39~41)
デモは肴町公園の南西口から出て東西に走る小路を東に向かい、国分町通りを越えて一番町に出る。
一番町を北に歩いて広瀬通りを西に折れるので、一番町はあっという間に通り過ぎてしまう。
今日のコーラー。(2015/10/9 18:38、43)
広瀬通りを西へ。 (2015/10/9 18:42~48)
広瀬通りを左折して西に向かうと、「稲荷小路」や「国分町」の飲食店街の南端を掠めていく。時間が早いので、酔客と呼べるような人はまだいない。
それでも、明るく輝くそれぞれの店は忙しくなりかけているのだろうと、稲荷小路にも国分町にも縁がなくなった老人は想像するのだが、思い浮かぶのは5、6人しか入れない小さな飲み屋が並ぶ50年前の路地のことで、再開発で今はその路地すらないのである。
晩翠通りから青葉通りへ。(2015/10/9 18:56)
青葉通り(晩翠草堂前)。(2015/10/9 18:57)
甲状腺癌の発生率が国内平均の20~50倍も高いとする津田敏秀先生の論文には、予想通り、原発を推進したい学者からの批判(非難?)が上がっている(日刊ゲンダイのニュースから)。面白いと思ったのは批判する言辞のなかに「時期尚早」という言葉があったことだ。
「時期尚早」とは事を為すのは早すぎるという意味だ。つまり、もう少し後ならやっても良いということである。もう少し後に発表すれば津田論文は正しいのだということを、批判者は言っていることになる。これは、福島で甲状腺癌が多発するのは将来的には避けられないという告白(自白)に等しい。
科学的な真理は時空を超える。時間や場所で真になったり偽になったりはしない。「時期尚早」などという人間くさい(政治がかった)戦術や策略とは無縁のはずである。ここにも、福島をめぐる放射線被曝の問題が、科学的、医学的にではなく、政治的に語られている空気が漂っている。
青葉通り(東二番丁交差点)。(2015/10/9 19:00)
一番町を出てからは、広瀬通り、晩翠通り、青葉通りと市中心部の主要な通りを廻るのだが、短かった一番町を出てしまうとどの大通りも薄暗く感じてしまう。いや、じっさいに暗いのだ。その証拠に撮した写真のかなりの枚数が使えないのである。
以前のデモではコンパクトデジカメで撮していたのだが、夜デモになるとほとんどの写真が使い物にならない。用途に応じて3台のデジカメを持っていて、そのどれを使ってもよく写らないので、妻に泣きついて今の1眼レフを購入したのだった。
写真の出来は画然と良くなったのだが、それでも暗さが増すとどうにもならない場合がある。残されているのは、私のカメラ技術を磨くことだけだが、それだけはなんとも……