それにしても、おお神よ、これはいったいどういうわけなのだろうか。これをはたしてなんと呼ぶべきか。なんたる不幸、なんたる悪徳、いやむしろ、なんたる不幸な悪徳か。無限の数の人々が、服従ではなく隸従するのを、統治されているのではなく圧政のもとに置かれているのを、目にするとは! しかも彼らは、善も両親も、妻も子どもも、自分の意のままになる生命すらもたず、略奪、陵辱、虐待にあえいでいる。それも、軍隊の手になるのでもなく、蛮族の一群の手になるのでもない(そんなものが相手なら、血や生命を犠牲にするのもやむをえまい)、たったひとりの者の所業なのである。しかもそいつは、ヘラクレスでもサムソンでもなく、たったひとりの小男、それもたいていの場合、国じゅうでもっとも臆病で、もっとも女々しいやつだ。そいつは戦場の火薬どころか、槍試合の砂にさえ親しんだことがあるかどうかも怪しいし、男たちに力ずくで命令を下すことはおろか、まったく弱々しい小娘に卑屈に仕えることすらもかなわないのだ!このようなありさまを、臆病によるものと言えるだろうか。隸従する者たちが腰抜けで、憔悴しきっているからだと言えるだろうか。
エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ [1]
人びとが「国じゅうでもっとも臆病で、もっとも女々しい」小男に隷従するわけを論じた『自発的隷従論』の中の一節である。1546~8年、今から470年ほど前に書かれた古典だが、まるで祖父母の世代に「腰抜けめ!」と叱られている気分になるほど、2015年の日本にしっくりと嵌りそうな文章だ。
この〈小男〉が誰だなどということはことさらに言いたくもないが、人びとが自発的に隷従することで独裁を助けているという時代を越えて共通する認識は、かなり厳しい問題を私たちに突きつけている。
TPPが包括的合意に達した後のJA全国大会に安倍首相が来賓として招かれて挨拶をしたのだという。TPPに絶対反対という自民党の公約(とくに農民層に向けての)を反故にしたというのに、主体がJAという組織なのか農民たちなのかは判然としないが、こうしたニュースに積極的な隷従の典型を見る思いがする。
しかも、明示的ではないがボエシの論旨は、人びとの隷従は国家(あるいはプレ国家)の始まりと同時に人びとの中に不可避的に芽生えた心性であることを示唆していて、「共同幻想としての国家」における幻想性のなかに深く隷従性が隠されているのではないか考えさせられた(つまり、私の宿題として残された)のだ。
もともと『自発的隷従論』を読もうと思っていたわけではない。FBに『独裁体制から民主主義へ』という本の紹介があって、アラブの春を闘った人びとに読まれていた権力に対抗するための教科書だという宣伝文句に惹かれたのだった。
最近は、デモのためだけにしか街に出かけないので、本屋に寄る機会もほとんどない。やむをえずAmazonで注文したら、これもどうだと『自発的隷従論』が宣伝されていたので、ついクリックしてしまった(安い文庫本だからできたのだが)。
【左】エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(西谷修監修、山上浩嗣訳)
『自発的隷従論』(筑摩書房、2013年)。
【右】ジーン・シャープ(瀧口範子訳)『独裁体制から民主主義へ
――権力に対抗するための教科書』(筑摩書房、2012年)。
パラパラとめくって眺めてみたが、『独裁体制から民主主義へ』は、非暴力抵抗運動のハウツー本らしい。ハウツー本は有用だが、読書にはならない。冷蔵庫に貼り付けているレシピと同じである。抵抗運動や革命がハウツー本を参考にしたらうまくいったなどということはあり得るはずがない。だからといって、無視もできない。山野草図鑑や鳥類図鑑と一緒に枕元にでも置いておくつもりである(もちろん、心中ひそかにうんと役に立ってほしいと願ってはいる)。
とうに日も暮れて(錦町公園)。(2015/10/16 18:14、17)
午後6時からの集会に間に合うように5時半に家を出たのだが、もうすでにすっかり夜である。この時期は日没の時間の変化が早い。
日没ばかりではない。犬との散歩に出かける時間が、この秋初めて日の出前になった。明るいが、太陽はまだ仙台市街の陰なのだった。
フリー・トーク。(2015/10/16 18:15~25)
主催者の挨拶は、川内原発2号機の再起動が始まったことや、宮城県議会議員選挙では「脱原発市民会議」が原発問題について候補者全員に行なったアンケートの結果を是非参考にしてほしいとの要望がなされた。アンケート結果は「みやぎ脱原発・風の会」のホームページに掲載されている。
続いて、10月3日に開かれた長町アークス町内会主催の「原子力発電のことをもっと知ろう 事故が起きたらまず何をしたらいいの?」という学習会の報告があった。町内会から15人、他から12人の参加があって、講師の篠原弘典さんの丁寧な解説を聞いていろんな知見が得られたということだった。しかし、町内会主催で原発問題を勉強するというのは、ちょっとした驚きではある。
映画『首相官邸の前で』の開催案内もあった。3・11の後、官邸前で続いている抗議行動がマスコミであまり報道されないことに発奮した慶応大学教授の小熊英二さんが監督したドキュメンタリー映画で、桜井薬局セントラルホールで10月24日(土)11:00、13:30、17:00に3回上映され、小熊英二さんが来仙されて上映後のトークもあるということだ。
また、11月23日(月)12:30から仙台市情報・産業プラザ 多目的ホールで開催される「市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム」の告知もあった。原発の専門化を招いてのシンポジウムは、脱原発運動をすすめる私たちにとって貴重なチャンスになるものと思える。
定禅寺通りを西へ。(2015/10/16 18:36、44)
一番町に入る。(2015/10/16 18:46、47)
錦町公園から出たばかりの定禅寺通りは、かなり暗い。車のヘッドライトに照らし出されるケヤキ並木は、色づき始めた。もう、広瀬川の河原が芋煮会の煙で賑わう季節だ。
コーラーとアピール担当犬。(2015/10/16 18:47、52、54)
一番町。 (2015/10/16 18:57)
60人と脱原発犬チョモさんの一行が人出の多い一番町に入っていくと、圧倒的に注目を浴びるのはチョモさんである。高校生や若い女性の受けが格段によい。
広瀬通りの付近には、店の宣伝や客の案内のためかメニューを抱えた飲食店の若い従業員がたくさんいるのだが、彼らの中にはコールのリズムに合わせてくれる人たちもいるのだが、チョモさんに目を奪われている人も多い。
飼い主さんも頑張って、チョモさん専用のキャリーカーはどんどん進化して、ボールライトや大きなプラなどがデコレートされ、ますます目を惹く効果を生み出している。
青葉通り(東二番丁交差点)。(2015/10/16 19:08)
右手には人びとの自発的な隷従論、左手にはこうすれば独裁体制から民主主義へ転換できるという非暴力的抵抗の方法論。どうしろと言うのだといいたくなるが、どちらも真実なのだと思う。
辺野古の基地建設に反対する行動では県知事を先頭とする沖縄のマジョリティが結集している。3・11後の官邸前での再稼働反対、原発反対の抗議行動は時には10万を超える人びとを集めて4年も粘り強く続けられている。『首相官邸の前で』を監督した小熊英二さんは、この一連の抗議活動、デモから民主主義への運動の質が変わったと考えている。
また、若い学生たちが組織したSEALDsが主導する戦争法制に反対する行動、デモによって、デモそのものに対する日本人の意識を大きく変えつつあるように見える。隷従する精神にとっては、デモに参加することは恐怖であったかもしれないが、SEALDsのデモは誰にでもできるごく普通の意思表示にすぎないことを日本人に明らかにしてくれたと思う。
もちろん、自公政権であることは自発的隷従がまだまだ強いことを意味しているが、最近の日本で生起し、そして継続している抵抗、抗議、反対の動きには隷従する精神を突破する契機を内包していると思えてならない。
[1] エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(西谷修監修、山上浩嗣訳)『自発的隷従論』(筑摩書房、2013年) p. 13。
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