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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2015.11.29
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 今日の午後2時からザイトク(在日特権を許さない市民の会)のヘイト街宣があるという。同じ時間に月1回の脱原発日曜昼デモの集会が始まる。昨年の1月末にも日曜昼デモに重なる時間帯にザイトクの講演会があって、カウンターとデモ参加の両方をこなそうとして市内を駆け回った記憶がある。
 2時から少しだけカウンターをして、それから幾分の遅刻で金デモに向かうことにした。

 ザイトクの考えを典型的に示すのが「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」という言葉である。この言葉をプラカードに掲げてデモをするばかりではなく、そういう演説もする。
 ナチスのユダヤ人ならすべて絶滅対象とする最悪の人種殲滅の考えとまったく同じである。反対するしかないではないか。

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ヘイト街宣とカウンター。(2015/11/29 15:25、14:10)

 仙台の街宣のメッカと呼べるのは、中央通りと東二番丁通りの交差点、平和ビル前である。時間通りに平和ビル前に行ってみたらザイトクはいない。拉致被害者を取り戻そうという署名活動のグループとYMCAの慈善活動への協力呼びかけのグループが中央通りを挟んで陣取っている。
 どうしたものかと思案していたら、公安らしい3,4人が急いで東二番丁通りを渡っていくので慌てて追っかけた。平和ビルの斜め向かいにザイトク関係者と思われ15人ほどが「移民(難民)受け入れ絶対反対!」という横断幕を掲げて何か演説をしている。移民(難民)と一般化して、一見、政治スローガン風だが、彼らが反対するのは中国人や韓国(朝鮮)人であって、アメリカ人やヨーロッパ人ではない。ナチスにおけるユダヤ人のように、民族差別の矛先はいつも同じなのだ。
 一方で、同じ15人ほどの人たちが思い思いにレイシズムや差別扇動街宣に反対するプラカードを挙げて対峙している。その間を割るように30人ほどの公安がガード(どちらを?)しているという構図だ。ザイトクのグループに近寄って抗議しようとする数人を公安が押し返している。
 写真を撮ったり、カウンターの列に並んでいたりしたが、間の抜けたことに私はプラカードを用意していなかった。物見高い年寄りが突っ立っているという図である。

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勾当台公園野外音楽堂。(2015/11/29 14:27)

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勾当台公園から出発。(2015/11/29 14:41、42)

 20分ほどカウンターの列にいて、東二番丁通りを勾当台公園に急いだ。なんとか最後のスピーチが始まっていたところに着いた。
 年明けの1月10日に中新田交流センターで開催される「海のはなし・山のはなし・旅のうた」の告知である。女川町で女川原発の廃炉を求める阿部みきこさん(女川町議)、加美町で放射性廃棄物処分場建設の反対運動を行っている伊藤由子さん(加美町議)の話とシンガーソングライターのよしだよしこさんの歌という構成で、宿泊施設でもあるセンターで語り合う夜を過ごしましょうという案内だった。
 最後に、シンガーソングライターのサトロさんから太鼓などでコールのリズムの取り方の伝授があった。私はその方面はからっきしなので、何が何やらわからないのだが、コールする方としてもけっこう調子よく乗れそうなリズムではあった。

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県庁前→勾当台通り→定禅寺通り。(2015/11/29 14:43、45、51)

 陽が照ったり陰ったりして、じっとしていると少し寒いくらいだ。デモに歩き出すと、ほどよく調子が上がりそうな気温である。
 大半の樹木はほとんど葉を振るい落としている。空気が澄み渡り、近眼の私にさえ遠く景色まで見通せるような気分がしてくる。晩秋のどんづまり、もうこの先は冬があるだけだ。

日の当る一劃当らぬ一劃を分かちて寒の遠街は見ゆ
                          春日井建 [1]

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一番町に入って。 (2015/11/29 14:51、51~55)

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広瀬通り。 (2015/11/29 15:00)

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一番町の人出。 (2015/11/29 15:01)

 しかし、人間が人間を差別するというのは、人間に避けがたく刻み付けられた精神の病弊であろうか。ジュルジュ・アガンベンが追求してきたように歴史的には「ホモ・サケル」[2] から「ムーゼルマン」[3] に至るまで、人間が「人間ならざるもの」へと貶められた悲惨な例は少なくない。
 しかし、少なくとも、ナチスのユダヤ人大虐殺に衝撃を受けたヨーロッパ社会は人種差別やヘイト言説を法的処罰対象とする人道的犯罪として政治制度化した。一方、日本ではザイトクときわめて心情的親近性の高い極右政権が成立していることもあって、彼らは野放しのままである。日本は、世界の歴史に追いついていない極東の後進国と言うしかない(少なくとも政治思想的には)。
 人間が人間を差別するのは、きわめて低劣で悪質な倫理上の犯罪である。私たちが日常的に疑いをさしはさまない「人倫」というものは、歴史的・思想的には人間中心主義(ヒューマニズム)によって形成されてきた。そのヒューマニズムこそ「人間ならざるもの」を差別してきたとして、アガンベンは「人間ならざるもの」としての動物と人間の差異は何かと問う仕事もしている [4]
 アガンベンばかりではない。ジャック・デリダの死後、遺稿のように出版された『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』[5] では、アリストテレスからデカルト、カント、ハイデガー、レヴィナス、ラカンという西欧哲学・思想の主脈において人間中心主義が主体概念から排除してきた動物(たち)の問題に踏み込んでいたのだ。
 なぜか私はいま、アガンベンからデリダへと、動物を差異化している人間そのものの意味を問う本に出合ってしまい、読み続けている。哲学や思想の世界では、いまや動物を差別する人間の思想にまで踏み込んで問うているのに、現在を生きる私は、在日外国人という政治的弱者を口汚くののしりつつ差別しようとする人々に抗議のために向き合わなければならない。その思想的落差に愕然としてしまう(彼らの考えを思想と呼べるならばだが)。

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青葉通りに曲がる。 (2015/11/29 15:09)

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青葉通り、東二番丁交差点へ。 (2015/11/29 15:13)

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青葉通り、東二番丁交差点。 (2015/11/29 15:17)

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陽は傾いて。 (2015/11/29 15:19) 

 晩秋の陽の傾きは早い。青葉通りに出ると、ビルの間から差し込む夕日を背にして進む。カメラを構える私には逆光が眩しい。
 東二番丁通りを渡るとき、遠くにザイトクの街宣が続いているのが見えたので、流れ解散地点から直行した。最初、カウンターの中には一人の知り合いがいただけだったが、もう一人顔見知りが増えてきた。金デモ流れの何人かもカウンターのグループの中に立ってくれた。
 カウンターのほとんどは、ザイトクのグループよりずっと若い人たちだった。これは心強い。

 

[1] 春日井建「歌集 水の蔵」(短歌新聞社 平成12年)p. 74。
[2] ジョルジュ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』(以文社、1995/2003)。
[3] ジョルジュ・アガンベン(上村忠男、廣石正和訳)『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、2001年)
[4]ジョルジュ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年)
[5] ジャック・デリダ(マリ=ルイーズ・マレ編、鵜飼哲訳)『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(筑摩書房、2014年)。       

 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)






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Last updated  2015.12.01 08:38:04
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