人生に宿題が多すぎて
読むべき本としんぶんとてがみと
うたふべきうた きくべきうたが多すぎて
まるで 生きてゐるひまがない
吉原幸子「無意味なルフラン」部分 [1]
朝から強風が吹いて、冷たい雨が降ったりやんだりしている。典型的な冬型の気圧配置で、ちょっとした冬の嵐の感じだ。天気を心配する身をからかうように、ときどき陽が射したりする。
デモに出かける前に夕方の犬の散歩に出た時も、雨が降っていてかなり寒いので、風邪をひかないために着ていく服をあれこれ考えてみたのだが、着るべき服のことまで考えるというのはずいぶん面倒なことだと気づかされた。
忙しいわけではないのに、暇がない。読みたい本が次々出てきて、あれとあれは市立図書館、それは県立図書館、これは買いに出るかアマゾンか、などと思っているが、手もとに重ねている本を読み終えたわけではない。忙しいのである(気持ちだけだが)。
元鍛冶丁公園。(2015/12/4 18:15~31)
フリー・トーク。(2015/12/4 18:21、25)
天候のせいでなかなか人が集まってこない。人が少ない分だけ、ゆったりとした親密な雰囲気で集会が始まる。
フリー・トークは、国による電力自由化の話題から始まった。仙台での説明会を皮切りにこれから全国で始められるということだが、周知が徹底されていない印象だという。また、自由化された電力を購入する際、その電力の発電手段を明記するかどうかまだ決まっていない。自然エネルギーへの転換を図るためにも発電手段の明示を求めていくべきだと主張された。
ただ、新聞記事によれば、電力取引等監視委員会は発電方法を示す電源構成の開示を「望ましい行為」と位置づけるものの義務化を見送り、自主的な開示に委ねるとしたという。もっともらしい美辞麗句を連ねるが、結局は既存電力会社に不都合がないように結論付けるあたりはいつものことだが……
続いて、おそらくデモ参加者のなかで最高齢と思われる方が、これまでとこれからへデモへの思いと覚悟を元気に話された。ご夫婦で毎回欠かさず参加されている方である。
最後に、今年最後の日曜昼デモの予定とそのあとの忘年会(「望年会」という)の案内があった。
(訂正あり。「料理室」→「調理室」)
元鍛冶丁公園から一番町へ。(2015/12/4 18:33、34)
フリー・トークもあっさり終えて、参加者が30人の小ぶりなデモは、国分町、稲荷小路という東北有数(?)の繁華街を横切って一番丁に出ていくのである。
1ヶ月前の11月6日の金デモもまた元鍛冶丁公園から出発したのだが、珍しいことに国分町をうろうろしている古い知人を見かけた。これからこの飲食店街で遊ぶらしい様子に少し遠慮して、声をかけずに通り過ぎた。
彼も私に気づかなかったようだったが、カメラを抱えてデモの周囲を走り回っている人間が私だとは思いもしなかっただろう。そういう知り合いである。
一番町。(2015/12/4 18:37~39)
イルミネーションの一番町。 (2015/12/4 18:44、49)
一番町のイルミネーションは、ほぼ完成形に達したようだ。定禅寺通りと広瀬通りの間は、青緑色のLEDの連なるラインが両サイドのアーケードの間に張られている。
広瀬通りからのブランドーム一番町はアーケードの天井から吊り下げられた空色の星型電飾、さんもーる一番町は植栽の木々を飾る青色の無数のLEDで、どれもほぼ昨年と同じように見える。
青葉通りへ出て。 (2015/12/4 18:55~57)
青葉通り、東二番丁交差点。 (2015/12/4 18:59)
最後の交差点。 (2015/12/4 19:01)
一番町のアーケードから青葉通りに出ると、わずかに降っていることが感じられる程度の雨だが、濡れた路面は車のライトや電飾を反映して光っている。
並木のケヤキも8割がた葉を振るいおろしてしまい、冬の氷雨にふさわしい姿だ。
冒頭の詩を書いた吉原幸子は、私がもっとも好きな詩人のひとりである。気持ちだけが忙しくてうろたえている私は、同じくらい好きなもう一人の詩人、石原吉郎の次のような詩句で私自身の心を宥めようとするのである。
しずかな夜が
しずかなままではいけないか
はじまらぬものが
はじまらぬままでは
いけないか
どこかの隅がたちあがる
気配がなくては
いけないか
石原吉郎「帽子のための鎮魂歌」部分 [2]
[1] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年) p. 113。
[2] 『石原吉郎全集 I』(花神社、1979年) p. 268。
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