真夏のような暑さだ。昼前に、川向いの病院まで往復して大汗をかいた。今からこんなに暑くてはこの夏をどう過ごそうかと思うほど体にこたえた。体はまだ春先のまま取り残されているようだ。
5月23日に義母が救急入院したものの何ごともなく4日後の27日に退院してきた。一安心というところだったが、それから11日後の火曜日(7日)の夜、また救急車のお世話になって入院した。誤嚥性肺炎である。それなりに対策をとっていたつもりだったが、112歳という年齢には私たちの思惑も工夫も追いつかないのだ。
義母の付き添いのため病院で寝泊まりしている妻の三食を毎日届ける日が続いている。病院は近いのだが、ザックを背負った背中は汗でびっしょりとなる。それでも朝晩は涼しくなるので、夕方の金デモに何を着ていくか、微妙に悩んで、結局は何もせず、日中の服装のまま出かける。
集会@錦町公園。(2016/6/10 18:16~31)
錦町公園は久しぶりだ。金デモの集会場所の中では、わが家から一番遠い公園(それでも徒歩で25分くらい)である。一番町の一部を抜けて錦町公園まで行き、デモで一番町を歩き返し、デモ終了後にはまた一番町を抜けて自宅に帰ることになる。私には、一番町はショッピングの街ではなく、もうデモの街である。
主催者挨拶の後、6月5日に開催された「さようなら原発 in いしのまき」の報告があった。鎌仲ひとみ監督の映画『小さき声のカノン』の上映と鎌仲さんの話から、あたかも原発事故は収束したかのように見せかけるため避難補償を打ち切って高線量汚染地に住民を帰還せざるを得ないような施策を講じるなど、福島の被爆被害者に対して政府はいかに冷酷かという話に及んだ。
また、東北電力の株主総会が近いこともあって、脱原発市民会議が大株主である仙台市にたいして脱原発株主の会の要求に沿う行動をとるよう要望したという報告もあった。かつてはまったく無関心であった仙台市の担当者も最近は脱原発側の情報を関心をもって見ているようだという。
続いて、当の東北電力本社前でスタンディング抗議を続けている人の挨拶があった。月の第二週の金曜日、19:30~20:00に東北電力ビル前の歩道で反原発の意思表示をしている。金デモ終了後に続いてスタンディングに加わることができる時間だ。
スタンディングにも参加したいと思うものの、デモが終われば急いで帰って、いつもは夕食の準備と義母の食事介護の手伝いがあり、義母入院中の今は自分たちの食事の準備と翌日の妻の食事の用意をしなければならないのである。遅い夕食をさらに1時間ほど遅れさせれば参加できるとはいうものの……。
最後に司会者から指名があって、ストロンチウムの話をしてくれという。福島事故の後はもっぱらセシウムばかりが話題になっているが、ビキニ環礁の水爆実験による第5福竜丸の被爆ではストロンチウムが話題になった。そのストロンチウムである。
ウラニウム235の核分裂では核分裂生成物として様々な放射性核種が生まれるが、その分布は原子量90と140付近にピークがあって、そのなかで半減期28年のストロンチウム90(Sr-90)と半減期30年のセシウム137(Cs-137)による被爆の影響が大きい(初期被爆では甲状腺がんの原因となる短半減期のヨウ素が問題になる)。
ベータ線とガンマ線を出すCs-137と違って、Sr-90は純ベータ崩壊のためガンマ線を出さない。そのため、電子であるベータ線の測定が難しいこともあって、Cs-137のようにあまり測定されることがない。測定されてもデータにばらつきが多く精度に劣る例が多い。
問題は、測定されていないということでSr-90の汚染をないことにしようとする原発推進勢力の思惑が強いことである。しかし、核分裂ではCs-137の量に匹敵するSr-90が生まれているうえ、セシウムはナトリウムやカリウムと同じアルカリ金属、ストロンチウムはマグネシウムやカルシウムと同じアルカリ土類金属で、化学的性質が比較的似ているため、原爆から放出された後の挙動に極端な差があるとは考えにくい。測定していないことをいいことに、Sr-90の汚染はCs-137の1000分の1だとか2000分の1だとする言説があるが、まったく根拠がない。食品の政府規制値がkgあたりCs-137、100ベクレルだとすれば、それにともなってかなりの量のSr-90が含まれていることになる。
おおむね、そのようなことを話した。Cs-137は1個のベータ線を出して崩壊するが、Sr-90は1個のベータ線を出してY-90(イットリウム90)に崩壊し、さらにY-90はもう1個のベータ線を出して安定なジルコニウム90に崩壊する。つまり、Sr-90は内部被爆においてCs-137の2倍の破壊力を持っている、ということまでは話しそびれた。
錦町公園から定禅寺通りへ。(2016/6/10 18:35~45)
錦町公園は、先週までの肴町公園と比べるとだいぶ広いので、集会に集まってきた人は少ないように見えたが、いつもの40人には達していた。 公園を定禅寺通りに出て、勾当台公園を過ぎて大通り(東二番町丁通り、国道4号)を越えて一番町に入る。杜の都の青葉の道である。
一番町(定禅寺通り~広瀬通り)。(2016/6/10 18:43~54)
デモの先頭から写真を撮りながら後方に行くと、見慣れない顔がある。ネパールからの留学生だという二人が一緒にデモを歩いている。
インドの原発問題は、いまやインドと日本に共通する政治課題になっているが、ネパールに一番近いインドのナノーラ原発が事故を起こせばネパールまで影響が及ぶだろう。ネパールもまた地震が多い国で、隣国に20基が稼働中、6基が建設中、34基が建設予定という原発大国インドがあるのは不安には違いない。
一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2016/6/10 18:57~19:02)
青葉通り。(2016/6/10 19:04~09)
一番町を通り抜けて青葉通りに出ても、今日はまだまだ明るい。とはいえ、街は少しずつ夕暮れの色に染まっていく。美しい夕焼けが見えるわけではないが、夕暮れの街にはそれらしい空気の色合いが広がっていくようだ。
こういう雰囲気(アトモスフィアとでも言えばよいか)を写真に写しとる技術があればとしみじみ思うが、ないものねだりである。しかし、美しいデモ人が私の写真技術の拙さを補ってくれている(と信じている)。
読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)