夏の間は比較的行事が少なくて、久しぶりに山登りなどを再開したのだが、9月に入るとスケジュールが埋まって慌ただしく過ごした。雨の中で車椅子を押して歩くたいへんな(それなりに楽しい)町内会の日帰り旅行もなんとか終えて11月に入ると、6日ほど何にも予定のない日が続いた。
なにかと取り紛れて例年よりも1ヶ月半も遅く播種したパンジーやビオラに本葉が出てきたので種床から植え替えた。あっという間に植え替えも終わったが、どうしたわけか昨年の倍以上の種類を播いてしまって、本植え替えの手間を考えるとうんざりするが、とにかくいまはやることがなくなった。まだ4日ほど空白が残っている。
読む本もない。一週間に一度の図書館通いの習慣は維持しているが、図書館に通ってもこの頃は読みたい本が見つからない。街の本屋に出かけるほどの暇もなかった。自分の本棚から何冊か抜いてきて読んでみた。もちろん、すべて読んだ本ばかりだが、中にはとても新鮮な文章に出合う(いったい私は何を読んでいたのだ)。
その中の一冊、ジョルジョ・アガンベンの『人権の彼方に』の中の一節。
人間――潜勢力をもつ存在としての、つまり制作することも制作しないこともでき、成功することも失敗することも、自分を見失うことも見いだすこともできる存在――は、生において幸福が問題となる唯一の存在であり、人間は、取り返しのつかないほどに、苦しいほどに、生が幸福へと割り振られている唯一の存在なのである。しかし、このことは即、政治的な生としての〈生の形式〉を構成する。 [1]
私たちの生は、「取り返しのつかないほどに、苦しいほどに、幸福へと割り振られている」というのだ。誰の生も、どんな人間の生も切実に幸福に割り当てられているのだが、その生は政治的な生であることを避けられない。そして、それは幸福というよりも悲劇としての生へと人を駆り出す。それなのに、なぜ多くの人々は政治と無縁に生きていると信じてしまうのだろう。そうした迷妄が私たちをいっそう悲劇に駆り出すというのに。
さほど期待もしていないが、習慣なので図書館に出かけた。そこで佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんの共著になる『三つの革命』という本を見つけた。出版されたことは知っていたが、副題に「ドゥルーズ=ガタリの政治哲学」とあって、もうドゥルーズはいいかなと思って逡巡していた本である。
パラパラと序文を読んでみた。次のような一文があった。
戦術は、主戦場をどこに見出すかによって決定される。反資本主義闘争の主戦場として同定されるのは、『アンチ・オイディプス』ではプロレタリアによる階級闘争、『千のプラトー』ではマイノリティによる公理闘争(諸権利や等価交換を求める闘争)、『哲学とは何か』では動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)による政治哲学(哲学の政治化)である。プロレタリアとは何か、マイノリティとは何か、哲学とは何か。 [2]
私のドゥルーズは、『差異と反復』に始まって『アンチ・オイディプス』で終わっている。ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、『哲学とは何か』かの三冊から、次のように「三つの革命」を論じることができるなどとはついぞ思っていなかった。
多くの論者が言うように、ドゥルーズ=ガタリが「六八年五月の思想家」であり、その六八年五月が、政治における欲望の前景化を特徴とする歴史現象であったとすれば、『アンチ・オイディプス』はプロレタリアによる階級闘争(とりわけロシア革命)を、『千のプラトー』はマイノリティによる公理闘争(「新たな社会運動」)を、『哲学とは何か』は犠牲者を眼前にしたマジョリティによる政治哲学(あるいはNGOの人道支援活動)を、それぞれ六八年五月の観点から論じた著作だと言えるかもしれない(これら三著作において、六八年五月がそれ自体として論じられることは一度もない)。六八年五月の観点からこれらの利害闘争を捉えるとは、『アンチ・オイディプス』及び『千のプラトー』での規定に従えば、それらを「分裂分析(スキゾアナリーズ)」の対象にするということである(『哲学とは何か』では「欲望」に代えて「大地」が、「分裂分析」に代えて「地理哲学」が語られることになる)。ドゥルーズ=ガタリは六八年五月を三度、再領土化する。『アンチ・オイディプス』では過去の上に、『千のプラトー』では現在の上に、『哲学とは何か』では未来の上に。過去からの革命、現在での革命、未来への革命。 [3]
幸福に割り当てられながら政治的生を生きるしかない私たちのそれぞれの時代の政治的存在と行動(の可能性と不可能性)を三冊の著作を通じて「三つの革命」として論じているということらしい。
この手の本の読者層がどれほど多いのか知る由もないが、新刊本は借り出しが続くことが多くて、書架に並んでいることは珍しい。さっそく借りてきた。空白は一日ほどしか残っていないが、読むしかないではないか。
夕方の金デモに出かけるまで本が読めると期待していたが、急に入った二つの行事のために電話をかけまくって人員配置に時間を取られてしまった。金デモが終われば、またバタバタとした日が続くのである。
勾当台公園から一番町へ。(2018/10/12 18:15~18:43)
15分ほどの遅刻で勾当台公園野外音楽堂に着いた。急いでカメラを出して集会の様子を撮ろうとしたのだが、なかなかシャッターが下りない。暗すぎるのである。露出を開放にしてISO感度を1600まで上げても、オートフォーカスが効かないのである。
こういうこともあろうかと、かつて完全マニュアルで撮る練習をしたのだが、ファインダーを覗いてぴったりと焦点を合わせるのだが、出来上がりはボケているのだ。近眼で老眼の眼鏡で見る焦点距離とカメラのそれとにずれがあるのだ。目測で距離を決めればいいようなものだが、今どきのレンズには昔のレンズのような距離表示はないのである。オートフォーカスが標準ということだろうし、私のカメラの知識もこの辺が限度なのである。
とはいえ、シャッターが下りないのでは困るので、ファインダー視野の中に街灯などの明るい被写体を入れて撮った。焦点距離はいい加減になるが、まったく撮れないよりはマシである。
出だしで躓いたせいか、この夜の写真の出来はさんざんだった。構図はそれなりによくても、ほとんどピントが甘いか、シャッター速度が遅すぎてブレブレだった。ただし、パソコンの取り込んだ写真ファイルを次々と大してめげもせずdelete(削除)する判断の速さはたぶんに自信があるので、それは問題ない。
今、ネットで重要なデータ図表が飛び交っている。私がそれを最初に見たのは、原発を止めた裁判官として名を馳せた井戸謙一弁護士のフェイスブック投稿記事だった。それによれば、南相馬市議会議員の大山弘一さんが南相馬市立病院から病名ごとの患者数推移のデータの提供をする受けたものだという。
患者数のデータは次のような表にまとめられていた(井戸弁護士はデータ表の写真をアップしていたが、ここでは脱被ばく実現ネット(旧・ふくしま集団疎開裁判の会)がアップした表を少し見やすいように配置を変えて示している)。
事故前の平成22年度と事故後の平成29年度を比較するデータは衝撃的である。チェルノブイリで起きたことが福島で起きている証拠が出てきた。もともと。こうした放射線被ばくによる晩発性障害は起きることとは十分に予想され、それに対応しようと放射線障害予防規則などが定めらえてきたのであり、それがフクシマ事故後、あたかも晩発性障害は起きないかのように喧伝してきたのは、自公政権であり、福島県であり、福島県立医大を中心とした御用学者たちであった。データの隠ぺいに綻びが出てきたということだろう。
こうしたデータの評価は、これから専門家の手によってなされるだろうが、データを発掘する努力ももっともっとなされることを期待したい。
井戸謙一弁護士は子ども脱被ばく裁判を闘われているが、「私たち、子ども脱被ばく裁判弁護団は、次回口頭弁論期日(10月16日)にこの証拠を提出して、問題提起をする予定です」と宣言している。いい結果を期待したい。
青葉通り。(2018/10/12 18:55~19:02)
左股関節周りの痛みの治療のために整形外科でマッサージを受けているが、マッサージで潜在的な弱点が顕在化してくるようで、少し歩くと左足のどこかに疲労がたまる。その個所はその時々で違っているが、今日は大腿部全体に疲労感が拡がっている。
青葉通りを行くデモが大通り(国道4号)を渡っていくデモを見送ったところで今日の私のデモは終わりとした。家までゆっくりと大股でストレッチをするような気分で帰ってきた。
[1] ジョルジョ・アガンベン(高橋和巳訳)『人権の彼方に――政治哲学ノート』(以文社、2000年)p. 12。
[2] 佐藤嘉幸、廣瀬純『三つの革命――ドゥルーズ・ガタリの政治哲学』(講談社、2017年)pp. 13-14。
[3] 同上、p. 16。
小野寺秀也のホームページ