「6月21日 脱原発みやぎ金曜デモ」 夕暮れどきの街で。
夕暮れどきに集う人々。 (AF-ISO800-2M、2013/6/21 18:45) 静かなスピーチ、激しいアジテーション。初夏の夕暮れどきの集会が進行する。熱意に満ちた演説に「そうだ、その通り」などと思いながら、若い頃のようにアジ演説に呼応してこぼれ溢れるようなエネルギーが沸き立つ感じはもうない。賛意は静かにわき起こる。この時刻には闇もまだ脚に絡まず、夜の訪れも、あこがれる昔の音楽のように、或いはなだらかな坂のように感じられる。 J. L.ボルヘス「見知らぬ街」部分 [1] 一番町も夕暮れどき。 (AF-ISO800-2M、2013/6/21 19:09)はやく来よはやく来よとぞたれか呼ぶ日暮れの街はしんそこ寒し 永井陽子 [2] 子どもの頃、夕暮れどきというのは寂しくて悲しい時間帯だった。鳥も虫もいなくなり、木も花も見えなくなり、そして友達もいなくなって一人で家に帰る頃合いだった。青年期には、1日が始まる朝は不安に満ちていて、夕暮れどきは時間をやり過ごすのに必死で、たいていは飲んだくれていた。老いて今は、1日を暮らし終えた夕暮れどきはとてもいい時間だと思えるのだ。たつぷりと皆遠く在り夏の暮 永田耕衣 [2] 夕暮れどきは一人でいる時間のイメージばっかりだが、今はデモの中の一人である。そして、大勢の人の中で、どうしたことか、今日は夕暮れどきの感傷なのである。 藤崎デパート前は明るい。 (AF-ISO800-2M、2013/6/21 19:12) 夕暮れのこの雰囲気をきちんと写し取れたらいいな、と思う。しかし、コンデジで写す写真で夕暮れの風景というのは、私には難しい。ISO感度を上げたり、下げたりはしてみるが、オートフォーカスのままで何の工夫もない、というよりどうして良いか分らないのである。 一番町の中を歩くときは、店々の照明に助けられるのだが、少し外れれば、手ぶれ、ピンぼけばかりになる。フラッシュをたけば、夕暮れなのにまるで夜景である。 青葉通りは薄暗く、ISO感度を上げてみる。 (AF-ISO1600-1M、2013/6/14 19:16) 夕焼けが赤いと、彼はまた愉しくなり、雲が出ると、彼の幸福の色も変わる。心も変わるときがある。 ウンベルト・サバ「詩人」部分 [4] そう、夕暮れは感傷的な時間帯と限られたわけではない。デモを歩いているということは、私(たち)は自らの「幸福の色」を変えようとしているということだ。そのために、その闘いのために、必要なら「心も変わるときがある」ということだ。 仙都会館前解散時にはフラッシュをたいて。 (AF-ISO1600-1M-FLASH, 2013/6/14 19:24) 暗さが増した街角でデモは終る。これから、少しだけビールを飲んだりしながら、夕暮れどきの仙台の街をぶらりぶらりと家路につくのである。仙台は小さき紫陽花の咲くところスーパーにホヤがごろりと並ぶところ 大口玲子 [5] [1] 『ボルヘス詩集』鼓直訳(思潮社 1998年)p.10。[2] 『永井陽子全歌集』(青幻社 2005年)p. 468。[3] 『永田耕衣五百句』(永田耕衣の会 平成11年)p.157。[4] 『ウンベルト・サバ詩集』須賀敦子訳(みすず書房 1998年)p.51。[5] 『大口玲子歌集 海量(ハイリャン)/東北(とうほく)』(雁書館 2003年)p. 154。