続々・大学のあり方
前回のブログを補足すると、「大学はもっと実学の授業を」という私の主張は、偏差値や知名度の低い文系私立大学だけに向かって言っているのではない。 「10年、20年一日のごとく、何の工夫もなく、昔ながらの経済学や法学を教えている」教師は、東京大学や京都大学、早稲田、慶応などの有名大学でも少なからず見当たる。「時代のニーズに沿った実学を教えたらどうか。福沢諭吉の時代の経済学や語学、法学はそういうものだった」という批判は、彼ら有名大学の教師にも言えるだろう。 米国のハーバードやスタンフォード、英国のケンブリッジなどに負けない実学を教える姿勢がもっと望まれる。 日本のブランド大学では「自分は最先端の研究に精を出している。出来の悪い学生の教育などに時間を割いている暇はない」などと自他に言い訳しつつ、学生の理解力や興味を無視して独善的に授業を進めるプライドの高い教師も目立つ。難解な言葉で教えることが自分がエライことの証だと、勘違いしている教師さえいる。 「自分の研究内容を少しでも多くの学生に理解させたい」という情熱の乏しい教師を、私は教師としてのみならず、研究者としても信用しない。 研究内容が素晴らしければ、少しでも多くの人に伝えたいと思うはずだからだ。教育の下手な教師は、実は単に教育を怠けているだけにすぎず、その悪影響は自身の研究にも及んでいるのである。 授業が難しく、学生がついて来られないのは、学生(だけ)に責任があるのではない。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」 山本五十六のこの名言はいつの時代にも当てはまる。マーケティングの基本は「お客様の立場で」。「学生はお客様なのだ」と謙虚な姿勢で、授業を面白く、かつ実用に供するようにするのが、教師の使命だろう。追記:もちろん、情熱的に教えている教授がいることも確かである。また実用、実学という言葉は、社会に出てすぐに直接役立つという意味ばかりで用いてはいない。学生が納得し、血となり肉となり、その知識や論理が社会に出て必ず役立つという意味での「実学」である。