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カテゴリ:ボランティア
北海道内のあちこちで、鮭やヤマメなどの稚魚を放流する活動が行われている。
私達の町でも「山女(ヤマメ)を守る会」があって、 毎年山女や鮭の稚魚を放流したり、川の清掃などをしている。 これは、市内を流れる「母なる川」が、山女が元気に生息する清流でありつづけてほしいということと、 かつてのように秋になると鮭が群をなして戻ってくるようにとの願いをこめてのことである。 市内の小中学校で孵化した稚魚を水槽で育ててもらい、 川で生きることが出来るほどに成長した時に放流する。 その地道な活動のせいで、一時は汚れていた川も徐々に綺麗になってきた。 さらに、一時はコンクリートで固めた護岸工事で川遊びも出来ない状況だったのだが、 そのコンクリート護岸を再工事して、昔ながらの水草が生えるような自然を生かした護岸へと転換され、 川が町の人たちの憩いの場へと変わりつつある。 それもこれも、心ある市民の自腹を切っての活動と、 そのことを通して多くの市民や行政を動かしてきた賜物である。 ・・ところが。 以前は稚魚の放流日時を事前に市民に知らせて活動をPRしていたのだが、 最近は「コッソリ」と行うようになっているのだという。 その理由は、放流した稚魚をすぐに網ですくってしまう人がいるからとのこと。 稚魚は自然繁殖したものではなく餌付けされているので、 放流してしばらくはその場所にとどまっているのだという。 それを狙って、釣りをするならまだしも、網ですくってしまうとは・・。 私は、「子どものしわざか?」とまず思った。 実は、息子が小学3年生で初めて放流体験をした日の放課後、 友達と川に行って稚魚を獲ろうとしたのをたまたま通りかかった先生に見つかり、 こってりとお目玉を喰らってションボリと帰ってきたことがあるのだ。 しかし、現在網ですくっているのは、何と大人だという。 私が次に連想したのは「天ぷらで食べたかったのかな?」。 以前、学校訪問をした時に水槽に泳いでいる稚魚を見ていた時、 ある先生が「美味しそうに育ってきました」と言ったのである。 私は、水槽に泳ぐ稚魚を見て「美味しそう」と発想することに少しビックリしたが、 釣りをする人ならばそう感じるのかもしれないと、それなりに納得した。 (しかし、間違っても子どもの前で、そんな冗談を言って欲しくないとも思った) だが、今回の話は、食べるためでもなかった。 何と、稚魚は花の良い肥料になるのだと言う。 花を美しく咲かせるために、せっかく育てて放流した稚魚をすくって土に埋める!? 思いもよらぬことに、私の心は凍りつきそうになった。 花を愛でる心と、他の人の心をこめた行為を平気で踏みにじる心が、 一人の人間の中に共存している。 一方の命を大切にしながら、一方の命を切り捨てる。 それが人間というものだと言ってしまえばそれまでだが、 何とも心が冷えるような話ではないか。 このような大人が増えている社会が、 子どもの心や社会に反映しないはずがない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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