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カテゴリ:ボランティア
もう、随分前のことであるけれど、その時期は忙しかったり他のことが重なったりで、書かぬままに終わっていたことがある。
今日は、とりたててネタもないので、ちょっと書いておこう。 我が町で、市民の実行委員会による「通学合宿」というものが初めて実施された。 「通学合宿」とは、「子どもたちを特定の期間、公的施設等で集団宿泊させながら学校へと通学させることにより、異年齢の集団活動や生活体験活動を行うこと」と、 鳥取県教育委員会の通学合宿についての説明http://www.pref.tottori.jp/kyouiku/shougai/tuugaku/tuugaku1.htm には書かれている。 鳥取県では教育行政が通学合宿を奨励しているようだが、このあたりではまだ行政主導で実施されているところはないのではないだろうか。 (gooやyahooで検索すると、通学合宿を実施している市町村を探せると思うので、興味のある人はそちらで詳しくどうぞ)。 要するに、生活体験や異年齢の子供達との体験が少なくなり、何でも大人に世話してもらうばかりの子ども達に、 宿泊施設で合宿生活をしながら通学させると言う取り組みである。 炊事・洗濯・その他色々、生活に関することは基本的に子供達が行い、大人はそのサポートや相談役をするということであった。 私も、今の子供達にはこのような体験がとても大切だと考えていたので、ボランティアとして2日間だけ参加した。 市内の「青少年研修センター」が会場で、そこから学校に徒歩で通える範囲の子ども達四十人近くが参加した。 私は、登下校の引率と、夕食のための買い物・炊事・後始末をサポートしたのだけれど、実に色々なことを考えさせられた。 一番感じたのは、「今の時代の子ども達には、このような体験が大切だ」ということ。 食事のメニューを考えることが、色々な要素(予算、栄養バランス、炊事のための手順や時間などなど)があるということも、実際に自分でやってみなくてはわからないことだ。 単純に「芋の皮を剥く」という作業だけでも、ナイフ・包丁・ピーラーなど、使う道具も使用上の注意もそれぞれ違う。 そんなことの一つ一つが、小学生(4~6年生)にとっては、とても新鮮で新しい知識と技術であり、 子供たちが想像以上にそれを面白がっていた姿を見て、 こんな楽しいことを子供たちにさせていない大人の責任を感じてしまった。 もう一つ、とても大きな「大人側の責任」を痛感した。 今の大人は、本当に「待つことが下手」なのである。 たとえば、登下校のサポートの時のことである。 いつもとは違う通学路を使うため、地域の人たちが登下校の引率をした。 それは子供たちの安全を守るために大切だと思うけれど、 とにかく小学四年生以上である。 信号や交差点での注意の仕方、歩道の歩き方など、そんなにいちいち事前に注意することはないと思うのだけど、 役員の人たちは注意をするのが自分の役割と思っているのか、 交差点が近くなると「さあ、交差点だよ。左右を確かめて!」と甲高い声が飛ぶ。 子供のことであるから、1.5キロの道のりを自衛隊員のように隊列を組んで歩くはずもないし、誰かとすれ違うとか、自転車が来たのならともかく、 「はい、チャンと二列に並んで! ホラホラ、はみ出してる」なんて、言う必要があるのかなあ・・。 と、私は最後尾を黙ってついて歩いていたのだけれど、大人の注意喚起の声がやけに耳について、大きな声ではいえないが「うざかった」。 私は、自炊初日と最後の日にボランティアに入ったのだが、 初日はとにかく全てに時間がかかり、夕食予定時間より一時間遅れで食事にありついた。 幸か不幸か、その時のボランティアスタッフは私と似たような感覚の人たちだったので、 時間がかかっても子供たちが「自分でやる」ということを大切に考え、 (指を切るなよ)と心の中で祈りながら、(こんなにノロノロやっているなら、切ったとしても重傷にはならんワイ)と、ここはジッと我慢をと少しばかりの手伝いにとどめた。 班単位での食事作りだったので、「今度は、もっと早くから始めた方がいいね」などと話してその日は終わった。 そして、次の夕食サポートの日、私は所用があって、買い物に付き合えなかった。 その日は宿泊最後の日だったので、サポートしてくれたボランテアも加わっての交歓会が開かれることになっていて、その分だけ食事も多めに作ることになっていることはわかっていた。 だから、大急ぎで会場に着くと、子供たちの姿がない。 そして、調理室には大勢のボランティアが忙しそうに食事作りをしている。 「え? 子供たちは?」と聞くと、「今日は沢山作らなくてはならないし、子どもたちにやらせていたら時間がかかるから、子供たちは盛り付けだけ」というではないか。 はあー???? そういうことになるの? 私は今回の実行委員ではなくて、単なるボランティァなので、実行委員が決めたことに文句を言うつもりはない。 色々なことを考えて、それが良いと決めたのだろうし、多分子供たちもそれで納得したのだろう。 しかし、本当にそれでいいの? 子供の自主性や自立性を育てるために企画した事業は、多少不都合が生じても、その目的のためにじっと我慢することが大切ではないだろうか。 自分で考え、自分で実行し、自分で失敗して反省する。 それを子供たちに体験させるために、通学合宿を行ったのではないだろうか。 本当に困った時にサポートするために、大人が傍についていてやるのではなかったか。 手を出さずに見守るということは、実は大変な我慢とエネルギーが必要である。 危険を避ける技術や能力も、実は危険すれすれの体験をしなくては身につかない。 家庭ではなかなかそれが出来ないからこそ、このような場でそれを体験させようとしたのではなかったか。 私の見るところ、そのような意味での大人側が考えたり反省したりすることがとても大切だと思うけれど、どうなるのであろう。 しかし私はどんな形であれ、子どもが家庭から一定期間離れて、色々なことを体験することは文句なく大切なことだと考えている。 このような時代では、市民の実行委員会がこのような行事をやることは、とても大変なことである。 私は、「指を少し切る」くらいはいいことだと思うけれど、そこに「責任問題」を持ち出す人も少なくはない。 しかし、本当の大人の責任とは、子どもが育つために必要な体験をさせるということであろう。 何も事故がないのが当然で、ちょっとでも何か起きると「責任は誰にある」と追求されるから、このような手間暇かけて危険も伴う事業は学校も行政も避ける傾向にある。 色々書いたけれど、今回の実行委員の人たちの勇気と熱意と行動力には、心から敬意を表したいと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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