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テーマ:世界の中の日本(545)
カテゴリ:パソコン、HP、ブログ
「イラク・ホープ・ダイアリー」は
2004年4月にイラクにボランティアとして入国して拉致され 多くの日本人が「自己責任だ!」と冷たい礫を投げつけた高遠菜穂子さんのブログだ。 帰国してからも、世間の冷たい批判にさらされて二重に傷ついた彼女は、 その後は幸いにも元気を取り戻し、 現在も精力的にイラクの現在と事実を伝えつつ、イラクの人たちを支援し続けている。 私は「忘れっぽい日本人の一人」であるが、 時々は彼女の日記を見て、イラクや高遠さんのことを忘れないようにしている。 そんな彼女の日記を見たら、下記の記事があった。 緊急嘆願書への署名のご協力をお願いします(7月4日) 署名するかしないかはそれぞれの人の考え方なのだが、 私はその日記に書かれている次の文章が心に響いた。 その部分を転載させていただく。 彼らの町ラマディは、今年4月から大規模な米軍の攻撃を受けていました。 先月のそれは、2004年のファルージャ大虐殺に匹敵すると言われました。 私はこの知らせを聞いて、自分がファルージャで拘束された時を思い出しました。 私はあの時、ファルージャ住民の大きな怒りに押し潰されそうになりました。 しかし、その怒り狂う彼らの後ろにさらに重くのしかかるものがあることを強く感じていました。 それは、イラクの外に住む私たちの無知、無関心、無力感というものでした。 この「無」は「負の感情」や「負の行動」を大きくしていきます。 暴力や戦争はますます増え、怒りや憎しみが増大していきます。 私はあの時、そんな「無」が生み出す「負」に絡めとられた、そう感じたのです。 そして今、私は同じことをくり返してしまっていると激しく思っています。 その後に続く記事では、イラクで米軍が行っていることが書かれています。 今日本は、北朝鮮のミサイル(演習?)に戦々恐々としていますが、 イラクでは米軍がイラク市民に対してミサイルを撃っているのです。 それを支え、間接的にではあっても支持しているのは、 「イラクの外に住む私たちの無知、無関心、無力感」なのです。 知りたいと思っても、マスコミや政府発表は次第に統制されてきているようで不気味です。 しかし、かつての時代とは違って、 今はインターネットを通して「生の声」を見聞きすることができます。 しかし、「個人の体験」はどうしても狭い部分に限定されます。 それでも、「歪曲されたものではない」という強みがあります。 個人的体験と実感がすべての基本だと思います。 それはイコール正しいものとは限らないし、 個人的感情に流されているという危うさも大いにあるけれど、 私たちがそこから気づかされて学ぶことはできるはず。 様々なブログを通して、そんなことを痛感することが多いのです。 そして、当事者ではないという冷静さと客観性で、 自分の考えや判断をしてゆくことが大切なのだろうと思います。 私は高遠さんたちが拉致され解放された事件を通して、 日本人の無責任さと平和ボケの本質、 そして小泉首相の人間的な冷酷さを痛感しました。 そして、イラクでの自衛隊の活動の本質が何なのかについても考えるきっかけとなりました。 日本のマスコミがいかに無責任で扇動的であるかも、 それからのさまざまな事件の報道を通して確信してきました。 権力者たちや国家というものに対しても、 「眉に唾をつけて」見る癖がついてきました。 情報が乱れ飛ぶ時代だからこそ、 「眉に唾をつけて」見聞きした上で、自分の頭で考える必要があるし、 その上で自分で判断し行動することこそが「自己責任」なのだと思います。 高遠さんは「自己責任」を全うしている、すばらしい女性だと思います。 あの時も私は彼女たちを誇りに思っていたけれど、 今の姿には、同じ女性として道産子として日本人として、 さらに誇りに思わずにはいられません。 (そういえば、ほかの二人はお元気かな? 今井君と郡山さんでしたね) 《参考》彼女たちが解放された時の日記 《イラクのイスラム聖職者協会に感謝!》 (2004年04月16日) 《「ありがとう」くらい言ってよ!》 (2004年04月17日) 《今井紀明さんの本を読んだ時に書いた日記》 「ぼくがイラクへ行った理由(わけ)」今井紀明/著 (2005年07月16日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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