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カテゴリ:ニュース
昨日の下記のニュースは、私も少し驚いた。記録のためにコピーしておく。 激震・金王朝:金正日総書記死去 北朝鮮、集団指導体制に 正恩氏、カリスマ性不足北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記の死去を受け、国営朝鮮中央通信は19日午後、朝鮮人民軍兵士らが「正恩(ジョンウン)同志の指導を受けることを誓った」と報じ、金総書記の三男正恩党中央軍事委員会副委員長への後継移行が確定していることを示した。中央通信は正恩氏に対して初めて「指導者」という呼称を使った。ただ、軍事優先の「先軍政治」を進めて独裁体制を維持した金総書記に比べ、権力基盤は脆弱(ぜいじゃく)だ。野田佳彦首相、オバマ米大統領、李明博(イミョンバク)・韓国大統領は19日、権力継承を巡る軍事クーデターなど体制内の混乱や、正恩氏が軍部の統率強化を目指し軍事的な挑発行動に出ることを警戒し、電話で協議するなど対応に追われた。 金正恩(キムジョンウン)氏は20代後半。公式に登場して1年あまり。百戦錬磨の金総書記の後継者として不十分だ。金王朝3代目は軍や治安機関、行政部門の核心人物が支える「集団指導体制」で進められる、という見方が強まる。 「金大将(正恩氏)が体制を引き継ぐ。張成沢(チャンソンテク)(国防副委員長)がもし"自分が次を"と口にすれば、金英哲(キムヨンチョル)(朝鮮人民軍偵察総局長)や禹東則(ウドンチュク)(国家安全保衛部第1副部長)が殺すだろう」 10月、朝鮮人民軍幹部は毎日新聞の取材に、後継体制をめぐって実力者間に立ち込めていた緊張関係をこう表現した。 日中韓各国の情報関係者の話を総合すると、その核心人物は、軍・保安機関が金英哲氏や禹東則氏、李英鎬(リヨンホ)軍総参謀長、朝鮮労働党や経済部門では張氏と李洙〓(リスヨン)合弁投資委員会委員長。張氏は金総書記の妹婿、李洙〓氏はかつて「李哲(リチョル)」の名前で駐スイス大使を務め、正恩氏のスイス滞在を見守った人物だ。 指導者としての正恩氏に、決定的に欠けるのが「尊敬されるための成果」だ。 北朝鮮が引き起こした延坪島砲撃事件(昨年11月)は軍部内部で「金大将の指導の成果だ」と宣伝された。最高権力機関の国防委員会でも正恩氏が金総書記に次ぐ地位を固め、(1)ウラン濃縮など先端技術(2)国家検閲事業(3)平壌10万世帯住宅建設(4)サッカーの戦力の分野を主導していると内部で語られている。 金総書記亡き北朝鮮。指導者に押し上げられた正恩氏はいつ国防委員長や総書記の地位を引き継ぐか。金日成主席が死去した際、金総書記は3年間、喪に服した。正恩氏も同程度の期間を置いて、次期体制を本格的に始動させる可能性がある。 その中で、北朝鮮専門家が注目するのは「金大将の履歴書」がいつ公表されるかだ。 正恩氏の素性はまだ公式化されていない。正恩氏は異母兄の長男正男(ジョンナム)氏(40)、実兄正哲(ジョンチョル)氏(30)に次ぐ金総書記の三男だが、公式報道は一度もその事実を伝えたことがない。正恩氏の母親で大阪生まれの高英姫(コヨンヒ)氏(04年死亡)についても、朝鮮人民軍の内部資料では「偉大なるお母様」としか記されず、在日朝鮮人である母親をどう扱うか決まっていない。また、正恩氏の出生地(聖地)を、金主席と同じく万景台(マンギョンデ)にするか、南東部の拠点都市、元山(ウォンサン)にするか、なども議論が続けられているようだ。 ここに、周辺国を引きつける発言がある。北朝鮮と中国両国の経済関係者の間で語られている「正恩氏のマルスム(お言葉)」だ。 「銃弾よりもコメが、より重要だ」 今年3月、正恩氏が語ったとされる。「金総書記が国家の根幹に掲げてきた軍優先の『先軍政治』より、経済政策を優先させるというメッセージ」と解釈できる内容だ。北朝鮮に改革・開放を求める中国側では好意的に受け止められている。 金主席から金総書記、さらに正恩氏へ。果たして独裁体制が引き継がれるのか。 首都・平壌では19日、訃報に触れた市民が悲しみにむせぶ様子が映し出された。一方で、国外に住む北朝鮮住民の中には「"尊敬する金大将同志"と口では表現するが、心の中では舌を出している」と体制批判を心に秘める人もいる。 金王朝が試練に立たされているのは間違いない。【北京・米村耕一】 ◇韓国、非常警戒態勢 中国軍も国境に増員か【ソウル西脇真一、丹東(中国遼寧省)工藤哲】韓国政府は国家安全保障会議を緊急招集、韓国軍は非常警戒態勢に入った。 また、中国人権民主化運動情報センター(本部・香港)は、中国軍が北朝鮮との国境地帯(吉林省)に先遣隊として約2000人の兵力を派遣し、最終的には3万人規模に膨らむという未確認情報を伝えた。 中国と北朝鮮の貿易の一大中継点となっている中国遼寧省丹東市内は19日夜、国境・鴨緑江にまたがる中朝友誼橋近くにある北朝鮮の在外公館で、金総書記に哀悼の意を示す人たちが相次いで訪れ、周辺は一時、渋滞した。橋付近は夜間も通常通りライトアップされているが、北朝鮮から中国に入国するトラックなどが通行する様子はほとんど見られない。北朝鮮当局直営レストランは閉店。橋の中国側では警察当局のパトカーが繰り返しパトロールし、不穏な動きを監視していた。 朝鮮中央通信によると、金総書記は心臓や脳血管の病気で長期にわたり治療していたという。訃告は「(そうした中で現地指導を続け)積もりに積もった精神的・肉体的過労により心筋梗塞(こうそく)が起き、心臓性ショックを併発した」と伝え、「殉職」とたたえた。北朝鮮の公式メディアによる最後の動静報道は、15日の平壌のスーパーマーケット視察だった。 遺体は、父親の金日成(キムイルソン)国家主席も葬られた平壌の錦繍山記念宮殿に安置される。29日までを哀悼期間とし、各地や各機関でさまざまな追悼行事が予定されている。この間、一切の歌舞や娯楽は禁じられる。 毎日新聞 2011年12月20日 東京朝刊
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最終更新日
2011年12月20日 09時16分09秒
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