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カテゴリ:つぶやき、人間関係
三月の大震災とその後の原発事故以来、私なりにずっとその推移を気にしてきた。
福島原発が爆発した直後は、テレビなどでの原発専門家や、 テレビの解説者などの話しを信じたいと思ったし、 心のどこかでは「大変なことが起きているのでは」という思いと、 「それでも何とかするのだろう」と信じたかった。 でも、その後徐々に色々なことが明らかになるにつれ、 これは現在の科学ではどうしようもないものがあるのだと思うようになってきた。 昨日のニュースで 野田首相「中間施設は双葉郡に」 佐藤知事、不快感表明 河北新報 1月9日(月)6時10分配信 ということを知った。 とりあえず三十年めどにとお願いしているようだが、その後どこに移すというのだ。 できもしないことを気休めに言っているとしか思えない。 日本のような狭い国土を、原発事故は海も空気も大地も汚染してしまった。 みんなで痛みを分かち合うと言っても、「みんなで放射能にまみれよう」とはならないだろう。 少なくても、現在は汚染されていない場所は、大切にしなくてはならない。 このような事態になったのなら、被害は最小限度にとどめるしかないだろう。 私の気持ちとしては、放射能汚染されたものはすべて、原発の敷地内に集めてほしいくらいだ。 そこで働かなくてはならない人や、 その周辺で住まざるを得ない人には本当に申し訳ないけれど、 日本の国土を守るためにはそれしかないのではないか。 除染しても限界がある。 何と言っても、福島原発から今後一切放射性物質が放出されないという保証もないのだ。 故郷は大切である。 自分の心の基地として、かけがえのないものなのだろう。 成人の日を迎えた被災地の若者たちが、 「ふるさとのために頑張りたい」などというのを聞くと、 そのけなげさに涙が出そうになるが、 少なくても放射性物質が漂っている可能性のある場所からは、 子どもや若者たちは離れてほしいと願わずにいられない。 私の曽祖父は、色々な事情の中で故郷から離れて北海道に移住した。 その心の中には、ずっと故郷の思い出を抱きしめていたのだろうが、 未来の自分の子どもや孫達のために、勇気ある決断をしてくれた。 私の今があるのも、息子達が北海道の大地で生きようとしているのも、 曾祖父母の開拓の一歩から始まっているのだ。 国は責任を持って、原発被害のあった地域の人たちへの補償をしてほしい。 そのためにちゃんと使うのなら、消費税を上げるのも私は賛成だ。 福島県知事は、「避難者の帰還が収束だ」と言っているようだが、 それを目標にするのは、どこか違うのではないかと思っている。 避難者の人たちの希望を「ふるさとへの帰還」と決めつけないでほしい。 希望はいつも未来にあるはずだ。 過去に戻ることが希望ではないはずだ。 新しい土地で、新しい仕事で、新しい絆を紡いでゆくのが、 少なくても若い人たちには現実的な希望の持ち方ではないか。 昨年を表す漢字が「絆」であった。 「絆」ということを、これほど考えた年はないかもしれない。 一人一人が自分が将来に向けて紡ぐべき絆を考えているだろう。 そういえば、民主党から離脱した人たちが、「新党きづな」を結成したという。 「きづな」って何だ? 一般的には「きずな」と表記すると思うが、 あえて「きづな」にしたのはなぜだろう。 昔の地縁血縁タイプの「きづな」をイメージしたと言うなら、バカじゃないのと思う。 少しは恥を知っているから、一般的な「きずな」を使わなかったとしたら、 恥ずかしいことするなと叫びたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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