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テーマ:お盆(284)
カテゴリ:家族・親族
次の日に出かける予定があるので、この日が我が家のお盆参りである。
実家は墓がなくて納骨堂。 市内の墓地で我が家と夫の義兄の墓。 そして、私の中学時代の友人の墓に。 その後、それぞれの用事を済ませてから私の実家に集まり、みんなで会食である。 その時に話すのは、やはり亡き父や祖母の思い出話などだ。 息子や孫たちに自分の家の歴史などを話すのは、このような時が一番である。 これが例年の我が家のお盆。 毎年同じようなことを続けているのだが、孫がいると月日を実感させてもらえる。 93歳の母は耳が少し遠いことと、聞いたことを理解するまでの時間がかかるようになったため、 「今、どんな話をしたのか?」と聞き返すことがとても多くなった。 「耳が遠くなってしまったので、みんなの話がわからない」とボヤくけれど、 聞こえてはいても理解ができないのだろうと思う。 母に向かって、母のわかりやすい言葉で話せばそほど大声でなくてもわかることが出来る。 かと言って、なかなかすべて母のために会話することにならないのが辛いところ。 そういえば、母よりもっと耳の遠かった父や祖母は、 あまり「自分にわかるように言え」という注文は付けず、 みんなが話しているのをニコニコと楽しそうに見ていたような気がする。 だから私たちは、あまり話の中断をすることなく、聞こえていないだろうなと時には思いつつ、 祖母や父の思いやりに甘えていたことを今更のように思う。 母は何としても自分も話の輪に入りたい気持ちが強く、それだけに疎外感も感じるのだろう。 私はどちらタイプの老人になるのだろうと思う。 願わくば、父や祖母のように、子孫が楽しそうに話していることを幸せに感じるようでありたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年08月16日 09時22分44秒
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