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カテゴリ:仕事
障害を持つ人達のスポーツに出会ったのは、30代後半の頃だった。
当時はまだ、スポーツ用の車椅子も日本国内では手に入れることが出来ない状態で、ノーマライゼーション運動に仕事で関わった頃に障碍者スポーツにも関心を持つようになり、日本の現実も知った。 具体的には、車いすマラソン、車いすアーチェリーをやっている人が市内にいたので、その人たちを通して色々な出会いや学びがあったのだ。 2002年に「第6回DPI(障害者インターナショナル)世界会議札幌大会」が開催された時は、個人的にではあるが、車いすを使用している人のボランティアとして大会に参加し、 世界中の障害を持つ人達と出会う機会もあった。 初めて車椅子マラソンのパイオニアであるMさんと出会ってから、すでに35年は経っている。 そんな経験を持つ私は、パラリンピックには色々な思いがあるし、 日本で開催される今回の大会にはとても期待していた。 なのに、このコロナ禍の拡大である。 本音としては、オリンピックは中止してパラリンピックの時には 「安心・安全な大会」にしてほしいと願うくらいだった。 最悪は、オリンピックは開催しても、パラリンピックは中止となることだった。 本当に本当に残念な思いがあるのだが、それでもパラリンピックは何とか開催された。 開会式は、オリンピックよりはメッセージ性には雲泥の差があるように感じた。 もちろん、パラリンピック開会式が良かったということだ。 昨日から競技が始まったが、それぞれの競技を見ながら感動している。 人間の可能性や底力を、心から感じることが出来る。 開催期間中、多分私は常にアンビバレンツな思いを抱き続けるだろう。 しかしそもそも、人間はそのような存在であり、 運・不運や様々な理不尽の中で生きなくてはならないものだ。 その中でも、自分自身の可能性や願いを追い求めることが出来るし、 周囲の人たちと上手につながり、必要な助けを求めることが出来れば、 必ず道は開けるものだということを、 パラアスリートたちはその笑顔で教えてくれるような気がしている。 かつて出会ったハンディを持つ人の中には、 すでにあちらの世界に旅立った人も何人もいる。 でも、かれらの拓いた道を歩み続けている後輩たちが沢山いて、 それを支える人たちも確実に増えているはずだ。 残念だけれど、あの頃願った 「障害の有無にかかわらず、差別なく同じ権利を持ち、対等に支えあえる社会」 にはまだまだだけど、 その願いを持つ人達が増えることで良い方向に向かっていると信じたい。 このパラリンピックが、その推進力になることを心から願っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年08月26日 09時00分24秒
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