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テーマ:自殺するという事(61)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
昨日、知人から親戚の男性が自死したという話を聞いた。
その人は本州に住んでいたため、あまり交流はなかったようなのだが、 風の便りで〇〇依存症で離婚し、一人暮らしだったという。 本来は真面目な人なのだが、どのようなことがきっかけだったのか、 〇〇の依存から脱出できず、自分自身の現在と未来に絶望した結果ではなかったかということだった。 「本人はとても苦しかったのだろうから、これで楽になったのかもしれないけれど…」と知人は話す。 私もそうだっただろうと思うし、そうなってしまったことは仕方がないので、 あとは故人の冥福を祈り、残された人が何とか気持ちを落ち着かせ、 さらなる苦しみにつながらないことを祈るのみだ。 「依存症」は病気である。 自分一人で何とかできる病気ではない。 そこから立ち直るには、医療は勿論のこと、家族や知人の支えがどうしても必要だ。 しかし、どのような依存症も最初はあまり深刻に考えない。 アルコール、ギャンブル、薬物などは昔から知られているが、 最近ではゲームやネットから離れられないことも依存症につながるようだ。 アルコールやギャンブル、薬物依存は、家族生活の破壊や借金地獄につながる。 これは、家族が大変な状態になることが多く、 当然家庭内暴力や家族離散につながりやすい。 本当は、家族が気付いた時にはできるだけ早く家族以外の人や病院、 時には保健所や警察などに相談することが大切なのだけれど、 日本人は家族の問題は家族の恥と考え、世間体も気にする傾向が強いせいか、 どうしても自分たちだけで何とかしようと考えがちだ。 しかし、家族メンバーに何か心配事が起きた時には、 誰にも知られないうちに家族だけで解決しようとしても、ほとんどはうまくいかない。 それは、どんな問題でもそうなのだ。 家族の扉はできるだけ開いておこう。 嫌なこともあるだろうし煩わしいことも多いだろう。 でも、家族のバランスを保ち、家族で煮詰まってマイナスのスパイラルになることを防ぐには、とても大切なことだと思う。 昨日の知人の身内も、このようなことになるまであまり人には相談しなかったようなのだ。 離婚して離れて暮らしていたとはいえ、ご両親や兄弟姉妹はその状況は察していたそうだし、心配もしていたようだ。 その過程でご本人とどんなやりとりがあったのかわからないが、 心配していた分だけ自死という最悪の結果はどれほどのショックであっただろう。 自死する人のほとんどは、「こんな自分は死んだ方が家族の負担を軽くする」と思っていたに違いない。 しかし、それは心配してくれる家族や知人がいる限り、間違っている。 亡くなった状況によって程度の差こそあれ、その結末の状態に大変なショックを受ける。 そして、残された人のほとんどが自責感に長い間苦しむことになる。 親であれば、どうして自分が生き残っているのかと苦しむし、 子どもであれは、自分を残して親が自死することは、見捨てられたような気持ちになるだろう。 そして、自分にもその親の血が流れていることに不安を覚えることにもつながる。 とにかく、自死は周囲の人に悲しみや不安や罪悪感や後悔という感情をまき散らし、 その影響は長い間続き、時には二次的な家族の病を引き起こすことにもなる。 自死した人はそれほどに苦しかったのだろうと責める気持ちにはなれないが、 今現在自らの死を考えている人には、何とか今日を、そして明日を生きてほしいと願う。 自死する人のほとんどは、「うつ状態かうつ病」だという。 これもまた、死に至る病であるのだが、先に書いたようにこのような死は、 残された人がどうしても納得できにくい死なのだ。 もう一度叫びたい。 どうぞ、家族の問題を家族だけで解決しようと考えないでください。 家族の扉は決して閉じないでください。 死を考えている人は、何とかその苦しい今日をしのいで生きてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年03月26日 11時34分39秒
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