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2022年10月25日
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カテゴリ:政治・政治家
帰宅して、野田元首相の安倍元首相追悼演説全文を読んだ。
野田氏って本当に素晴らしい人だと感動したので、コピペしておく。
もう一度、野田さんに総理になってほしい。

​手ごわい論敵だが「心優しい気遣いの人でもあった」野田元首相の安倍元首相追悼演説(全文)10/25(火) 16:14配信​
暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ない
野田:本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。政治家としてやり残した仕事、次の世代への伝えたかった思い、そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々、全ては一瞬にして奪われました。

 政治家の握るマイクは単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命が懸かっています。マイクを握り、日本の未来について前を向いて訴えているときに後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。あらためて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

 私は生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は前任者としてあなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

 わが国の憲政史には101代、64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた重圧と孤独を我が身に体したことのある1人としてあなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。そうした一念のもとに、ここに皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

あなたの周りを取り囲むひときわ大きな人垣
 安倍晋三さん、あなたは昭和29年9月、のちに外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として東京都に生まれました。父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父はのちの内閣総理大臣という政治家一族です。幼いころから身近に政治があるという環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

 そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。私も同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関にはあなたの周りを取り囲むひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこにはフラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私にはその輝きはただまぶしく見えるばかりでした。

 その後のあなたが政治家としての階段を瞬く間に駆け上がっていったのは周知のごとくであります。内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初、よわい52、最年少でした。

 大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月あなたは激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。もう二度と政治的に立ち上がれないのではないかと思い詰めた日々が続いたことでしょう。

 しかし、あなたはそこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや、地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら反省点を日々ノートに書き留め、捲土重来をします。挫折から学ぶ力と、どん底から這い上がっていく執念で、あなたは人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

何度でもやり直せる社会を自ら実践
 かつて、再チャレンジという言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここにあなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは諦めない、失敗を恐れないということを説得力持って語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

 5年の雌伏を経て、平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時内閣総理大臣の職にあった私と以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは平成24年11月14日の党首討論でした。私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情、その後の丁々発止、それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは与党と野党第一党の党首同士が互いの持てる全てを懸けた火花散らす真剣勝負であったからです。

 安倍さん、あなたはいつの時も手ごわい論敵でした。いや、私にとっては敵のような政敵でした。攻守を替えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第1委員室でした。少しでも隙を見せれば容赦なく切りつけられる張りつめた緊張感、激しくぶつかり合う言葉と言葉、それは1対1の果たし合いの場でした。激論を交わした場面の数々がただ懐かしく思い起こされます。残念ながら、再戦を挑むべき相手はもうこの議場には現れません。

人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそ
 安倍さん、あなたは議場では戦う政治家でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。それは忘れもしない平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ、敗軍の将となった私は、皇居であなたの親任式に前総理として立ち会いました。同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の2人だけが同室となる、しーんと静まりかえって気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは安倍さんのほうでした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、お疲れさまでしたと明るい声で話し掛けてこられたのです。

 野田さんは安定感がありましたよ。あのねじれ国会でよく頑張り抜きましたね。自分は5年で返り咲きました。あなたにもいずれそういう日がやってきますよ。温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。その場はあたかも傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。残念ながら、そのときの私にはあなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします、安倍さんのあのときの優しさがどこから注ぎ込まれてきたのかを。

 第1次政権の終わりに、失意の中で、あなたは入院先の慶應病院から傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは誇り高い政治家にとって耐えがたい屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。あなたの再チャレンジの力強さと、それを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

 安倍さん、あなたには謝らなければならないことがあります。それは平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなっては駄目だ。私はあろうことか、こうした気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前でそんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい大失言です。謝罪の機会を持てぬまま時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。今あらためて、天上のあなたに深く、深くおわびを申し上げます。

人との距離感を縮める天性の才があった
 私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり内閣総理大臣の職責を果たし続けました。あなたの仕事がどれだけの激務であったか、私にはよく分かります。分刻みのスケジュール、海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉のやいばを投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

 第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

 首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたがまったくタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。片や、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

一度だけ総理公邸の一室でひそかにお会いした
 安倍さん、あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ総理公邸の一室でひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され、政府四演説が行われた夜でした。前年に天皇陛下の象徴としてのお務めについてお言葉が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。2人きりで陛下の生前退位に向けた環境整備について1時間余り語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。そして、政争の具にしてはならない、国論を二分することのないよう立法府の総意をつくるべきだという点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決め切るのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

 私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む冷静沈着なリアリストとして柔軟な一面を併せ持っておられました。あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じ合っていけるのではないか、立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。以来、私はそうした期待をずっと胸に秘めてきました。

 憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で失いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。人生の本舞台は常に将来に向けて在り。

 安倍さん、あなたの政治人生の本舞台は、まだまだこれから先の将来にあったはずではなかったのですか。再びこの議場で、あなたと言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっぱなしはないでしょう、安倍さん。耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感が、今、大きな空隙となってとどまり続けています。

暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿る
 その上で申し上げたい。長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に永遠に立ち続けなければならないさだめです。安倍晋三とは、いったい何者であったのか。あなたがこの国に残したものはなんだったのか。そうした問いだけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま日本中をこだましています。その答えは長い時間を掛けて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

 そうであったとしても、私はあなたのことを問い続けたい。国の宰相としてあなたが残した事跡をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちと共に、言葉の限りを尽くして問い続けたい。問い続けなければならないのです。なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

 暴力やテロに民主主義は屈することは絶対にあってはなりません。あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を少しでもより良きものへと鍛え続けていくしかないのです。

 最後に、議員各位に訴えます。政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命が懸かっています。暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。民主主義の基(もとい)である自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。真摯な言葉で建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育て上げていこうではありませんか。

 こうした誓いこそが、マイクを握りながら不意の凶弾に倒れた故人へ私たち国会議員がささげられる何よりの追悼の誠である、私はそう信じます。この国のために重圧と孤独を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された安倍晋三元内閣総理大臣。戦い続けた心優しき1人の政治家の御霊にこの決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。安倍さん、どうか安らかにお眠りください。





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最終更新日  2022年10月25日 20時02分14秒
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