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テーマ:備忘録(128)
カテゴリ:家族・親族
【旅行】5月21日(日)~5月24日(水)
夫が随分前から行きたいと言っていた、「奈良井宿」と「身延山」へのツアーではない旅行。 千歳空港から羽田→新宿→特急あずさで塩尻→ローカル線で奈良井宿へ。 奈良井宿ではいかりや町田民宿に泊まる。 宿に荷物を置いてから、奈良井宿を散策。 予想以上に昔の街並みが残っていて、タイムスリップしたような感じ。 その日の宿泊は、カナダ人女性二人と私達夫婦。 食事はとても美味しくて、特に鯉の煮つけが美味でした。 次の日は、奈良井宿を一通り散策してから、塩尻→甲府→身延山へと、ローカル電車を乗り継いで向かう。 身延山の宿泊先、山本坊に着いたのは午後三時半頃。 次の日は雨の予報だったので、大急ぎでロープーウエイ駅まで送ってもらい、身延山山頂へ。 山頂に着いた時はまだ下界が眺望できたのだが、あっという間に霧が湧いてきて、奥の院までぐるっと回っているうちに霧で体が湿ってくるし寒いしで、早々に下山。 雨に濡れなかっただけラッキーだった。 次の日は、早朝五時半からの久遠寺の勤行に参加することにしていたのだが、夜中から明け方までものすごい豪雨。 雨音で夜中に何度も目覚めて、「こんな雨の中、久遠寺までの石段を上るのはイヤだな」と思っていたが、5時頃には小雨となったので予定通り出発。 宿坊の人は「車で送りましょうか」と言ってくれたのだが、この程度なら大丈夫と自分の足で行くことにする。 階段は一段一段が高めなので、やはり息が切れて休みながら行ったのだが、息子たちの急斜面の畑で鍛えているせいか、思ったよりは辛くはなかった。 勤行はやはり荘厳で、私は信心しているわけではないが、多くの人達の祈りの歴史を体で感じて、何かパワーを浴びているような感じがした。 その日は天気が悪い予報だったので、朝食後はすぐに出発して東京に向かう。 東京についても雨交じりの肌寒い天気で、神田のビジネスホテルに向かう。 チェックインしてから上野の鈴本演芸場で寄席を楽しむ。 以前通信教育のスクーリングで上京していた頃は、いつも寄席や歌舞伎や演劇などを楽しみにしていたのだが、卒業して次男も東京を引き上げてからは、とんとご無沙汰だった。 この日は天気が悪かったせいか、お客さんも少なく、ゆったりと楽しめた。 次の日は、親戚からの驚きの電話で1日が始まる。 何と、夫の義理の甥が突然亡くなったということだった。 彼は2年前に胃癌の摘出手術をしていたのだが、抗がん剤治療も終わり、最近はパークゴルフにも行けるようになったと、つい数日前に訪ねた時に「良かったねえ」と話したばかり。 また葬儀日程は決まっていないということだったので、私たちは予定通りに浅草とスカイツリーを見学して夜帰宅。 【葬儀関連5月25日~27日】 次の日の朝、とにかく姪の家を訪問。 亡くなった経緯を聞き、本当に人の命はいつ尽きるかわからないものだと思う。 お昼過ぎに調子が悪いというので病院に行ったのだが、その時はすでに意識がなくなり緊急手術。 その夜の午後10時過ぎに亡くなったという。 葬儀の手順やなど、姪の長男と共に打ち合わせ。 姪は70代後半なのだが、多少認知症気味で家族も心配していた状態なので、独身の長男が頼りである。 普段は無口で色々なことは故人である父親に任せている感じなのだが、やはり責任感で頑張っていた。 その日は午後から夫が会議を2つほど入れていたので、私は買い物をして大量の煮物を作り、夕方届ける。 次の日は通夜なのだが、留守の間に庭の草も伸びていて、今は芝桜などが花盛りなのだが、それに負けじと草たちも伸びている。 とにかく目につくところだけ除草にいそしみ、通夜に向かう。 家族葬的な葬儀ではあったが、コロナ禍で人数制限されていた時は火葬場にも行けなかったし、通夜の後の会食も家族以外はできなかったけれど、今回は以前のような形で行うことが出来た。 実は、亡くなった日は2020年に亡くなった姪の母親の命日。 義理ではあるが親子で同じ日に亡くなるなんてと、ビックリした。 きっと、深い縁があるのだろうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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