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テーマ:幼馴染って不思議。(5)
カテゴリ:つぶやき、人間関係
うかうかするとみんな忘れてしまいそう。 とにかく、書けるときに書いておかなくゃ。 7月20日は、関西からクラス会のために来道したKさんが帰る日に、空港で待ち合わせをして食事とおしゃべり。 Kさんは小学校四年生の時に大阪から転校して、私と同じクラスになった。 明るくてひまわりのような感じの彼女が眩しかったが、自分から声はかけていない。 彼女から唐突に「ねえ、友達にならん?」と言われた時の驚きと嬉しさはよく覚えている。 しかし、彼女は私だけではなくて色々な人と友達になっていったので、 何となく友達なのかなと思いながら時は過ぎて行ったのではないか。 彼女とより親しくなったのは、小学校の児童会役員になった時から。 私は書記、彼女は会計だったと思う。 その後中学に進学し、クラスは別だったが、中二の前期の生徒会役員で一緒になった。 この時の仲間は、現在も交流が続いている。 中二の後半で彼女は札幌に転居し、高校の多分三年生の時にまた大阪に転居した。 私は筆まめだったので、彼女が転校してからも文通は続いていて、以来ずっと友達関係である。 とはいえ、「友達」とはお互いに思ってはいるけれど、少し微妙な点もある。 それでも、いつも一緒に顔を合わせるわけではないので、彼女が来道する時には必ず会っている。 彼女は小学生から中学まで過ごしたこの町を「ふるさと」と思っている。 私から言わせるとたった五年くらいなのだが、彼女の故郷愛はとても強い。 私はずっとこの町に住んでいるので、あまり故郷を感じることがない。 どちらかというと、若い頃はこの町から離れたかった。 彼女が羨ましいというこの状況が、私には「うーん、そうかもね」と返事をするくらいだ。 ともあれ、久しぶりに会って近況報告を色々しながら、今回も彼女との違いを感じることはあった。 彼女は昔の仲間達への強烈な友情というか愛を感じているのだが、 私は色々複雑な経験も共有しているので、微妙なところがある。 彼女だってその渦中の時には色々な思いを抱いたはずだが、 年月で浄化された部分と強いこだわりを感じ続けている部分はある。 その「部分」が私と異なるようなのだ。 だから、時々話がかみ合わない。 同じ経験なのだけど、見えていた光景や思い出が違っているという感じだろうか。 とはいいつつも、私は彼女と向き合うと子どもの頃のパターンになってしまう。 人間って不思議だなと思う。 たしか谷川俊太郎だと思うが、人間の心は年輪のようなものと例えていたと思う。 老木になっても、幼い頃に刻まれた記憶や傷は、大人になってもそこにあるというような感じかな。 だから、幼い頃の友達関係がふとした時に立ち現れてきて、当時と似たようなパターンになるのかもしれない。 ともあれ、彼女も息子さん達やその家族(息子の配偶者や孫たち)とは色々と気遣いながら生活している。 そんな話では共通するものがあり、お互いに次の再会まで元気でいようねと別れたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月25日 09時20分19秒
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