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カテゴリ:政治・政治家
「記憶にございません」10連発 盛山文科相、教団接点巡り答弁迷走2/8(木) 朝日新聞
8日の衆院予算委員会では、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との接点が指摘されている盛山正仁文部科学相に質問が集中した。盛山氏は「記憶にございません」を午前中の審議だけで10回以上も連発。迷走する答弁に、野党は批判を強めている。 立憲民主党の藤岡隆雄氏が真っ先に質問したのは、教団側と事実上の「政策協定」にあたる推薦確認書に署名したとされる問題だ。 盛山氏は「報道で書いてあるのでサインをしたかもしれないが、私は記憶にございません」と答弁した。 藤岡氏が「サインは否定できないのか」とたたみかけると、盛山氏は「サインしたかの記憶はありません」としつつも「可能性はゼロとは言いがたい」とあいまいな答えに終始。教団側へ確認するよう求められても、現在は関係を断っているとして「こちらから連絡をするつもりはございません」と突っぱねた。 「記憶にない」のニュースで思い出したのは、かつて仕事をしていた頃の恐怖の思い出だ。 当時の私は猛烈に多忙であった。 やりがいのある仕事で、一時は「天職かもしれない」とすら感じ、ずっと続けたいと思っていた。 しかし、忙しさで疲労とストレスが重なってきたのだろう。 一度作成した資料や報告書などを書いたことを忘れ、一から作ってしまったことがある。 提出してホッとしてから目の前の書類ファイルを開くと、ほぼ出来上がった書類があった時の驚き。 さらに、一度打ち合わせをしたことがスポッと記憶から抜け落ち、同僚に「あの件で打ち合わせしなくちゃね」と言った時、彼らが驚いたような顔をして、 「それ、この前話し合ったでしょう?」と言われた時の衝撃。 (慌ててファイルを開くと、確かに打ち合わせをしていたことがわかった。 ただ、確認するまではみんなが私をからかっているのか、意地悪をしているのではないかと疑った) こう書いていても、少し前のことのように冷や汗が出そうである。 そんなことがあっても、周囲の人は「忙しすぎるんだよ」「無理しない方がいい」と言ってくれたけれど、私はアルツハイマーではないかと、とても不安だった。 それから、どんな小さなことでもメモをして、毎朝その手帳を見直すことをしたりして、何とかひどい失敗には至らなかった。 しかし、それはさらにストレスフルなことであり、この仕事をこれ以上続けることは無理だと思うようになった。 今考えると、やはり私の能力以上の仕事を抱えたことで脳細胞に混乱をきたしていたのかもしれないと思う。 だから、本当に記憶がなくなることは理解できるし、そうであったら気の毒だとも思う。 だが、そんなときに平然と「記憶にない」と人前で言えるということは信じがたい。 他人のことはわからないが、私の場合は記憶が飛んで周囲に迷惑をかけてはいけないと思っていたから、仕事に関係のある人には 「私は忘れっぽいから、変だと思ったら言ってね」とか、 「このことは絶対に忘れてはいけないことだから、みんなも覚えていてね」と言いふらすようにした。 しかし、それは楽しいことではなく、「恥も外聞もなく」という感じで、恥をしのんでのことだった。 (そのせいもあり、周囲の人や仲間たちは、自分が物忘れや言葉を忘れたら「みらい(私のこと)病が移った」なんて言うようになってしまった) それも楽しいことではないので、無関係の人に自分の健忘症(別名みらい病?)を言う気にはなれなかった。 そんなことを考えると、盛山正仁文部科学相が「記憶にございません」と言い続けるのは、自分を守るためというよりは、変な使命感か責任感のような気がする。 少なくても、国民への使命感や責任感ではないだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月09日 09時21分11秒
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