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テーマ:エッセイ(97)
カテゴリ:過去のエッセイ・ポエム
「さくら」
言うまでもなく「桜」は日本の国花。国家「君が代」がどことなく肩身の狭い状況にあるのとは対称的に、この花は日本国中大いばりである。 沖縄の開花から始まって、北海道の最北の地に桜前線がたどりつくまで、日本人のまなざしは桜を追っている。 桜餅、桜湯、桜貝、桜えび、桜色、桜草、桜鯛、桜肉…。接頭語とさえ思われるほどの使われ方を見ても、この花がいかに私達の心をとらえているかが察せられるる。 しかし、これほど恋われる桜が咲くのは、ほんの短い間だけ。待たせて待たせて、やっと咲いたかと思うと一気に満開になり、あっという間にパーッと散ってしまう。それはあまりにも潔く見事であり、残りの一年のほとんどは「どれが桜の木だったっけ?」と思うほどに、目立たずにじーっとしているのだ。 正直に言って私は、桜がこんなにもてはやされることが、若い頃は少々不思議であった。 北国で純粋培養された私にとって、桜は「エゾ山桜」であった。確かに桜は春の到来を告げる花の一つではあるが、私にとって春を感じさせる花は「福寿草、レンギョウ、こぶし」などであり、桜はその次当たりであった。 高校生の頃、本州から転校してきた友達が、我が家の桜を見て呟いた。 「北海道の桜って、葉っぱも一緒に出るんだね、桜じゃないみたい」。 私は彼女が何を言っているのかわからず、「うん?」とうやむやに言葉を濁した。数年後、初めて本州の桜を見た時に、私はその意味を一瞬にして了解した。 いわゆる「桜」とは、木全体が花になり、葉っぱなど影も形もない植物であるということを。 満開の桜並木の下で、思わずスキップしそうになりながら、(これが桜なんだ!!)と、心の中で叫び続けた。 あの日から私も、桜に魅せられた日本人の一員となった。テレビで本州の桜を見るたびに、その時ばかりは本州に住みたいと願ってしまうのだ。 (45歳) 今週から三月になる。冬が戻ったような今日この頃だが、確実に季節は春に向かっている。 このエッセイを読み返しながら、今は国歌も威張り始めているなとか、 ソメイヨシノも北海道に増えてあまり珍しくはないことに、月日の流れを感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月28日 09時51分43秒
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