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まいかのあーだこーだ

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2020.12.09
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☆「12鬼月」の由来

鬼滅の刃には「十二鬼月」と呼ばれる上位の鬼が登場します。
この「鬼月きづき」とは何でしょうか。

台湾では、
旧暦の7月を「鬼の月」と言うそうです。
この場合の「鬼」とは先祖のことですから、
台湾の「鬼の月」は、日本でいうところのお盆です。

一方、
鬼滅に登場する12の「鬼月」というのは、
6の「上弦」と6の「下弦」に分かれていて、
これは、おそらく月の満ち欠けに関係しています。

その場合、
6+6=12という数は何を意味するのでしょうか?
古代日本の冠位が「12階」だったことに関係するでしょうか?
それとも、
たんに1年が「12ヵ月」であることに関係するのでしょうか?

ちなみに、
上弦の月は1年間に12回、
下弦の月も1年間に12回、
それぞれ夜空に昇るのですから、
そこから考えれば、
上弦と下弦の合計は24でなければならないはずです。

これに対して、
上弦6+下弦6=12という鬼月の数には、
もっと別の由来と意味合いがあるはずです。



月は、
太陽とは対極的な意味をもつ天体であり、
もともと太陽をはげしく嫌う鬼は、
ちょうどドラキュラや狼男と同じように、
月にこそ親しい存在なのだと考えられます。

しかし、たとえ同じ月であっても、
その満ち欠けに比例して太陽の影響を受けています。

つまり、
望の月(満月)は、太陽光を全面に浴びていますが、
朔の月(新月)は、太陽光を完全に遮断しています。
そして、
上弦の月や下弦の月(半月)は、
いわば、半分だけ太陽光を遮断しえている状態です。

おそらく、このような太陽との関係が、
「鬼月」と呼ばれる鬼の階級にも反映しているのです。



月の周期は、およそ4週間です。

最初の7日間で、朔(新月)から上弦(半月)になり、
つぎの7日間で、上弦(半月)から望(満月)になり、
つぎの7日間で、望(満月)から下弦(半月)になり、
最後の7日間で、下弦(半月)から朔(新月)になります。

そして、

月初の7日間のうち、
1日目は月がまったく隠れている新月ですので、
この新月を除いて、
上弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。
同じように、
月末の7日間のうち、
7日目は月がまったく隠れている新月ですので、
この新月を除いて、
下弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。

このように月初と月末の合計12日間に現れる、
半月よりも細い6段階の月、
すなわち、
太陽の光を半分以上遮って闇の割合が上回った月のことを、
おそらくは「鬼月」と呼んでいるのです。

下位の鬼たちが、
いまだに太陽を浴びて膨らんでいる月だとすれば、
上位の鬼=鬼月というのは、
太陽を拒絶して細くなった鋭い形の月なのであり、
上弦と下弦それぞれ6段階の細さの月が、
あわせて12の鬼月の階級に対応しているはずなのです。


…では、
太陽光を完全に遮った「朔=新月」に対応するのは何か?

いうまでもなく、それこそが鬼舞辻無惨きぶつじむざんです。



気象予報士の森田正光は、
映画『無限列車編』における魘夢えんむとの戦いのとき、
夜空には、下弦から細くなっていく「月齢23」の月が出ていた、
と述べたうえで、それを、
「1916(大正5)年11月18~19日の夜」と推測しています。
これは旧暦でいえば、10月23~24日の夜です。

ちなみに月の周期は、
厳密にいえば 7×4=28日よりも長く、
平均でおよそ29.53日ですから、
旧暦において下弦の月が現れるのは、
毎月21日ではなく、それより少し後の23日ごろになります。
かつては各月の23日に、
下弦の月を拝むための「二十三夜講」もおこなわれました。

このことから、
十二鬼月・下弦の壱である魘夢との戦いは、
旧暦でいうところの10月23~24日の夜、
下弦よりも細い月のもとで行われた、ということになります。

陰暦では、毎月1日(月立ち=ついたち)が新月なので、
2日から7日までの6日間に上弦より細い「鬼月」が現れ、
15日から16日ごろに満月となり、
24日から29日までの6日間に下弦より細い「鬼月」が現れることになります。





◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

☆「9柱」の由来

鬼の上位にいるのは「12」の鬼月ですが、
鬼殺隊の上位にいるのは「9」の柱です。

この9という数字は何を意味するのでしょうか?

一般に、柱といえば、
建物を支える木材であると同時に、神々を数えるときの数詞です。

したがって、おそらく鬼殺隊の9柱は、
仏教ではなく、日本古来の神道に関連しているはずです。

ただし、一口に神道とはいっても、
日本の神々はけっして一枚岩ではありません。
このうち「9の柱」と言ったときに思い出されるのは、
とりわけ出雲の周辺にいた神々です。



伊勢神宮に代表される神明造は「横長」の建物であり、
住吉大社に代表される住吉造は「縦長」の建物なのですが、

出雲大社に代表される大社造だけは「正方形」の建物であり、
それは3:3:3の「田」の字型に並べられた9本の柱で支えられます。

もともと出雲周辺には、
これと同じ構造の建築物の遺跡が多く、
いわゆる「金輪御造営差図かなわのごぞうえいさしず」に描かれた古代出雲の巨大神殿も、
やはり9本の柱で支えられていたと考えられています。

かりに9本の柱が出雲の神々であるとするならば、
それは大和王権の成立以前から日本列島に存在していたわけです。

そして、
出雲から大和への「国譲り」の歴史を踏まえれば、
それは、鬼を退治した神々というよりも、
むしろ大和王権によって退治された神々だったといえます。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

☆「鬼舞辻」の由来

「鬼舞辻きぶつじ」という姓を文字どおりに解釈すれば、
それは鬼たちが舞う東西と南北の通りの交わる場所を意味します。

その場所がどこなのか明らかではありませんが、
とりあえず思い当たるのは、京都の「二条大宮の辻」です。

これは、
その名のとおり二条大路と大宮大路がまじわる交差点で、
ちょうど平安京大内裏の東南角に位置していて、
通称「あわわの辻」とも呼ばれています。

藤原常行や安倍晴明は、
ここで百鬼夜行に遭遇したといわれているのです。




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最終更新日  2024.04.05 19:32:01
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