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カテゴリ:心理学
意識していないものは認識していない。
NLPで簡単な問題を出してそのことを実証する。 まぁそうだ、人間は見ているようで見ていないし、 聞いているようで聞いていない。 必要か不要かを、無意識の内に判断しているのだ。 名古屋駅前でコインパーキング式駐輪場が拡大している。 駅前は取引銀行に行ったり、業者に書類を届けたりしているから、 頻繁に通る道である。 だから、「また駐輪場を作るんだなぁ~」という感じで見ている。 コインパーキング式なら、大掛かりな工事にならないし、 歩道の一角を使うだけだから、場所もそんなに必要無い。 あちらこちらで、ちょこちょこ工事しているから、 知らないうちに駐輪場が増えているという感じである。 なので「多いなぁ~」という認識にならないのだ。 よくよく考えてみれば、駅前から離れたところまで有るのだから、 駐輪場が拡大されているのは一目瞭然である。 でも、増やしているのが少しずつであることが、 拡大しているという私の認識能力を衰えさせている。 先日、久しぶりに駅裏を通った。 そして驚いたのが、コインパーキング式の駐輪場が、 ずらりと並んでいたことである。 「いつのまに!‥しかもこんなに広範囲に出来ているの?」 突然目の前に現れて、それが奥のほうまで並んでいる駐輪場を見て、 私はびっくりしてしまったのだ。 記憶している風景と現実の風景の差が、私に驚きを与えた。 あまりの差に、意識せざるを得ない状況になったのだ。 駅前と駅裏とで、同じことが繰り広げられているのに、 私が受けた驚きには、大きな差が有った。 何気ない毎日の風景を、もっと気持ちを込めて眺めたのなら、 毎日がもっと煌めいてこの目に映るのではないだろうか? 感動の毎日にするか否かは、私たちの気持ちにかかっている。 毎日しっかりと周りを認識しながら、見つめて歩きたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月25日 07時05分28秒
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