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私は子供時代、簡単に何でも買ってもらえる家庭ではなかった。
洋服も二枚くらいしかなかったらしい。 幸運にも、私の通っていた小学校は体育着で通学する決まりだったから、学校で不自由することはなかった。問題は休日で、体育着を洗ってもらい、私服でいるのは不自由だった。 そんな状態だから、はやりもののおもちゃなどはもってのほか。 文具も大人用の渋いやつを使っていた。 皆がかわいい絵柄のついた消しゴムを持っていても、私のは昔ながらの 「ゴムです。ゴムで出来ています。歴史はありますよ」 とでも勝手に言いそうなゴムくさいやつだった。 友達やいとこと遊んでいても、私の持ち物は少なく、忘れる心配もなければなくす心配もなかった。 それでもなくさないようにと、結構几帳面にでかでかと記名していた。 あるとき、りかちゃん人形で遊んでいた私たちは、 「marchinちゃんのお人形、りかちゃんじゃないね」 「そうだよ。私のお人形はりかちゃんのお友達の『はるみちゃん』っていうの」 「だから、服が一枚しかないんだね」 ・・・不思議に思った私は、母に 「りかちゃんはお洋服いっぱいあるのに、何ではるみちゃんのはこれしかないの?」 と聞いた。仕事から帰って、忙しく夕飯などの支度をしていた母は、イライラして言った。 「そんなことよりばあちゃんが何でmarchinの服もっと買ってきてくれないかね」 大人の事情は良くわからないけれど、聞いてはいけないことを聞いた気分でいた。 はるみちゃんの服は自分で何とかしなくちゃ、と思った私は、父に聞いた。 「はるみちゃんとか、私の服は何でできているの?」 「布だよ」 「布って何で出来ているの?」 「もめんだな。ママかばあちゃんが持っていると思うから聞いたらいい。」 翌日祖母にその話をしたら、とっても地味な生地を少しくれた。 うれしくはあったが、 「はるみちゃんは有名じゃないからりかちゃんよりかわいくしてあげなくちゃ」と、なんとなく思い、母や叔母など数人に 「布ちょうだい」 と言い、いろんな布を集めた。 そしてみようみまねで服を作り始めた。 まるで折り紙でもする感覚で、下手くそに大まかに縫った筒状のものはスカート、工作するように大胆に切って、切りすぎて失敗しては布を足してまた縫い付けて、出来たものは「シンデレラがおうちにいる時着ていたつぎはぎの服」のようだった。 それで、なんとなく材料さえわかれば作れるかもしれないと思い込んだ私は、必要なものができると何かと父に 「何で出来ているの?」 と聞いた。 時には、ゴムとか、プラスチック、鉄、なんていうものがあったりして、私にはどうすることも出来なかったが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月31日 15時19分19秒
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