『聖書』は予言の書である。とか、新約聖書の『黙示録』が予言の書である。とか、怪しい教団の信者さん(統一協会だけでなく)から、よく聞かされたよね。
その外、神秘主義に傾倒している人からも、たまに耳にしたこともありましたわ。 聖書が予言の書である。というのだったら疑問が浮ぶよね? 聖書が予言の書であるなら、何故、人間は悲惨な戦争を繰り返すのか? 飢餓で苦しむ人々が出ないように、何故、それを未然に防げなかったのか? ・・・・・・・・ 数え上げたら限がない。 事が起こり、時が過ぎ去った後で『全ては大昔に聖書に書かれてあった!聖書に予言されていた!』と言っても、それは、こじ付け、でしかないのだよ。 事が未然に防げてこそに予言の価値があるのだから。 予言というのは、防犯・防災対策である。と私は思っているけどね。 予言というから、おかしくなっちゃうんだけどね。 予言。ではなく、助言というべきじゃないかな? 結局は錯覚なんだよね。 聖書の中に現代社会の縮図を見て、そう思いこんでしまう錯覚なんだよね。 何故、現代を生きる人が聖書は予言の書である。という錯覚に陥ってしまうのか? それは、大昔に生きていた人々から、現代を生きる人々に至まで、似たような行いを繰り返してきたからなんだよね。 様々な、文化・文明が発達しても人間の本質は変わらないからだろう。 後ろ向きに考えれば、人間とは何と愚かな生き物なのだろうか?と思うだろうし。 前向きに考えれば、現代人が営んでいる豊かな暮らし向きや、豊富な知識は、先人達が失敗を繰り返しながら積み上げてきた成果ではないのか?と思うのではないのかな。 そして時が止まらないのと同じく、 人間があり続ける限り、それは続くのではないのかな? その時々の事情や形を変化させながら、それは、これから先も延々と続くのではないのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[[宗教文学]私が現実世界に戻るための減圧室] カテゴリの最新記事
終末論が流行ったころ一時流行しましたが、「世界の最後にかうなる」といふ預言ではなく、ドミテイウス帝のキリスト教徒に対するすさまじい迫害の中で信仰を失わないやう信者を励ますといふ預言者ヨハネ(使徒ヨハネとは別の人)が書いたといふのが学会の一般的な認識です。預言者ヨハネはここで徹底的にローマ帝国に復讐しているわけです。
「聖書の預言が100%当たっている」などと言うやからはもう少し近代的聖書学を学んで欲しいですね。 (2012.04.15 23:52:15)
ゾンデイテストの名人さん
>終末論が流行ったころ一時流行しましたが、「世界の最後にかうなる」といふ預言ではなく、ドミテイウス帝のキリスト教徒に対するすさまじい迫害の中で信仰を失わないやう信者を励ますといふ預言者ヨハネ(使徒ヨハネとは別の人)が書いたといふのが学会の一般的な認識です。 > はい。 私にキリスト教の基礎的に重要な部分を教えてくれたT・K先生も、そのように言っていました。 >預言者ヨハネはここで徹底的にローマ帝国に復讐しているわけです。 まあね。 >「聖書の預言が100%当たっている」などと言うやからはもう少し近代的聖書学を学んで欲しいですね。 ----- 正しく近代的聖書学を学んでほしいですよね。 いつまでも時代錯誤菜事をやっていたら怪しい教団と大して変わらないよね。 (2012.04.16 09:11:08) |
|