カテゴリ:見たものなど
新型コロナによる強制閑散期でテレビをつけると中の人たちが狭いスタジオでマスクもせず役に立つかどうかわからないことを激しく語り合い、その誰もがコロナにかかっていないので、世の中の会議のたぐいもそんなに厳しい自粛をしなくてもいいのになと思うのですが、まだ何もない青森県からそれを言っても首都の皆さんのほうが空振りでも用心する気持ちが強いのは当然なので困ったものです。
政府はたくさん会議をしているので、議事録業界が暇で暇で困っているのに気がつかないのかもしれません 厚生労働省 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解等(新型コロナウイルス感染症) https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html さてタイトル 『あの家に暮らす四人の女』(三浦しをん 中公文庫) 帯のとおり20万部突破の19年8月20日14刷の既に大変売れている作品で、世の女性の共同生活への関心の高さをうかがわせます。私も素直にその興味関心のもと手に取りました。 読んで程なくこれはファンタジーだと思いました。23区で遺産取り崩しと年金の母と刺繍家の娘が家庭菜園のできる庭と孤老男性の住む離れを維持できるわけがない、少なくとも庭と離れはとっくに切り売りされていなければいけないはずだ、大体月10万稼ぐのも難しい手芸仕事の娘が母の家庭菜園を疎んじるほどの余裕がどこにあるのだ、実社会はもっと厳しいのに、男手もそばにあるとか「あの家」はいろいろ理想的過ぎる、と思いながら読み進めると、見えざるものたちが語り出し、やはりファンタジーだったかという、重くない物語でした。 ところどころ「水」が話の種になっていて、私は水回りを共有するのは嫌だ別々なほうがいいと思ったり。それから、四十間近になっても女は二人集ったら恋バナをしなければならないのか?余った女が集うなら恋バナなんて要る?要らないよと思ったり。将来的にある層の女性が助け合って暮らす必要性を感じながら、現実的でシビアな見方もしてしまうのは、昔々に女子寮生活をしていた個人的経験からであります。 「あの家」で最も社会性の高い雪乃さんはこのように思います。「経済的に自立し、一人で生きられることは、べつに大人の証ではない。本当の意味で一人で生きられる人間などいないのだし、(中略)譲りあったりぶつかりあったりしながら、それでもだれかとともに生きていける能力の保持者こそを、大人というのかもしれない」(P54) 現今ますます厳しい世の中にあって、家族でも家族でなくても、人が肩寄せ合って暮らしていくことを誰に恥じる必要があるでしょうか。共同生活は生活防衛の一環です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年03月21日 15時43分45秒
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