貝の鳩 その25
「ミシェル。いろいろありがとう。お陰で邪魔の入らないうちにアーノルド王とじっくり話をすることができたよ。」「おめでとうございます。もう王様の貫禄ですね」 驚いたような顔でミシェルを見つめると、王子はちょっと寂しそうに答えた。「ごめん。前にも同じ言葉を姉から言われたんだ。あれは、大学を卒業した時だっただろうか。レイチェルに認めてもらった気がして、ものすごくうれしかった。それなのに…」「ハドソン王子。美しく賢い王女さまのこと、いつまでも忘れないでいてあげてくださいね」 ハドソンは静かに頷いた。「今朝、リュードのフォレスターという人物から連絡をもらった。レイチェルの遺骨を返してくれるということだった。近いうちに、レイチェルの葬儀をしなければならないな」 その沈痛な胸の内はミシェルにも痛いほどわかる。「ハドソン王子。これで私の任務は終了いたしました。もう、お目にかかることは敵わないかもしれませんが、どうかお元気で」「ミシェル、君もな」 ミシェルは静かに敬礼した。王子もまた、それに答えた。 宿舎の車が王室の敷地に入ってきた。ジーク、ミシェル、スキャットマンの三人が乗り込むと、ロザーナが慌てて駆け寄ってきた。「ミシェル。元気でね。」「ありがとうございます。ロザーナさんも。ハドソン王子にお妃様が来られた時は、くれぐれもコルセットを閉めすぎないでくださいね」 明るい笑い声が響いた。 馬車が動き始める。見送る人々に手を振って、ミシェルはまたいつもの宿舎に戻ってきた。「隊長。申し上げにくいのですが、2,3日休暇をいただきたいです。任務の途中で父を亡くし、母のことも心配なので。」 ミシェルは帰還報告と同時に、休暇を依頼した。「いいだろう。ゆっくりしてこい。それから、偶然だが、私も休暇と取る予定だ。ディック、悪いが緊急連絡の時はよろしく頼む。フィル、出動の時は鳩をとばしてくれ」「イエス、サー!」 部屋に戻って夕食の支度を始める。先日ジークが持ってきた食料はどれも一人分で、分けて食べるには少なすぎた。 もう、一緒に食事をしようとは言ってもらえないのだろうか。コーヒーには口も付けずに机を叩いて出て行った後姿がまだまぶたに焼き付いている。 黙々と事務的に食事をしても、おいしいはずもなかった。 リュードに持って行った荷物を整理していると、貝殻の鳩が出てきた。 これは、あの時の! ミシェルの瞳から一気に涙が溢れ出した。頭の中をジークの言葉が次々に響いている。「どうだ、これから一つチェスでもやってみるか?」「独り者は俺たちだけだ。まあ仲良くやろうぜ。」「お前…。きれいだな」「だれがこんなところに来いと言った。お前は王女の身代わりになっていろと言っただろ」「あれほどそこにいろと言ったのに!」「そういうことじゃないだろう!」 あの手紙は、なんだったんだろう。自分の中に芽生えてしまった気持ちをどう打ち消したらいいのだろう。 目が覚めると早朝だった。どうやら泣きながら眠ってしまったらしい。肩にケットが掛けられている。いったい誰が掛けてくれたのだろう。 周りを見渡すとメモがあった。-鍵も掛けずに寝てしまうとは、何事だ!疲れは特殊部隊の天敵だぞ。3日間の自宅謹慎を命ずる!その間は絶対に自宅から出るなよ!-「隊長…」 ミシェルは急いで支度をして、早いうちに宿舎を出た。馬はもちろんハドソン王子から譲り受けたあの馬だ。朝靄の中を走り、途中の牧草地で休憩を入れる。木陰に座り込んで馬が草を食む姿を眺めていると、もう一頭の馬が現れた。「なんだ。お前だったのか」「隊長!お休みを取られたと伺いましたが」「俺の実家にはもうだれも住んでいないが、この先に兄貴の家があるんだ。」 ジークはミシェルの隣にどさっと座ると、馬たちの様子を眺めながら話し出した。「俺には年の離れた兄貴がいてな。親とはどうも意見が合わないが、兄貴はいつだって俺の味方だった。頭のいい兄貴はおれにチェスを教えてくれたし。武道の基本も教えてもらった。そんな兄貴が結婚して独立すると、おれは両親とケンカして家を飛び出したんだ。 それからは寄宿学校に入った。それも兄貴が金を払ってくれて実現したんだ。学生時代はよく兄貴の家に遊びに行ったもんだが、軍人になってからはすっかりご無沙汰していたんだ。ところがそんな兄貴が病気で亡くなっていたらしい。だから、今日は墓参りだ」「それって、もしかしてうちの父のことですか?でも名前が…」 ジークは足元に視線を落として頷いた。「そういうことだ。第三部隊にお前が来た時、まさかとは思っていたが、宿舎の部屋にあった写真を見て確信した。俺の名前はジーク・D・グロウ。デュークっていうのはセカンドネームだ。あの頃の仲間がそっちの方がかっこいいだろうって言って、ニックネームにしてたのさ。」「隊長、それじゃあ、隊長は私の叔父さんなんですか?」 ジークはポケットからタバコを引っ張り出して火をつけた。「どうもそうらしい」 さわさわと心地よい風が吹き渡っていく。きれいに晴れた草原と木漏れ日の煌き。それなのに、二人の距離を縮めることはできなかった。 不意にジークの腕がか細い肩をつかんだ。「そんな顔をするなよ。マーサが心配するじゃないか」 白い頬を流れる涙を拭って、ジークは寂しげに笑った。「お前が兄貴の子どもだってことが分かっても、自分の気持ちをとめることが出来なかった。だから、リュードに単身潜入すると決まった時、どうしても自分の気持ちを伝えたかったんだ。それなのに、お前はあんな危ないところに一人で飛び込んできて、おまけに俺の命を救ってくれた。」 ミシェルはたまらなくなって、大きな胸に飛び込んだ。ジークの腕がしっかりとミシェルを抱きしめる。このまま時がとまってしまえばいいのに。そんな思いは、二頭の嘶きに遮られた。「ミシェル。マーサに会いに行こう」 ジークは気持ちを引き剥がすように立ち上がると、自分の馬にまたがった。ミシェルもすぐさまそれに続く。二人は草原の風のように、丘の上にある懐かしい家を目指した。