テーマ:たわごと(26824)
カテゴリ:社会問題
光市母子殺人事件。
この事件では元少年を死刑にしたいと思っている人が多い。 実は私もそのうちの1人だ。 先日、この事件と死刑についての記事を見つけた。 集団リンチは許されない~光市母子殺人事件~死刑は国家を予防措置実現義務から解放するものでしかない 上記の記事ではこの事件移管する報道を批判している。 「集団リンチを煽るだけの無責任」とまで述べている。 そして必要なのは何故事件が起きたのか。 その対策を社会で考えるような情報を提供することだとしている。 確かに一理ある意見も含まれている。 疑問点も多いが。 そしてこんな例をあげている。 >例えば、酔っぱらい運転で殺された子の親は、その運転手を殺したいと思うだろう。光市の母子殺人事件で死刑に処すべきだと考える方は、この運転手も死刑にするべきだと思いますか? > もし、私が上記の親の立場だったら、酔っぱらい運転防止機能のつかないまま製造した車メーカーの経営陣とそのような車を製造することを許した経済産業省の自動車課の役人を皆殺しにしてやりたいと思うだろうが、私の遺族感情を国家が叶えることに賛同してくれますか? この文章は例として不適格ではないか。 私は読んでいてそう感じた。 光市母子殺人事件の被害者家族である本村さん。 彼は「法律をまげて死刑にせよ!」と言っているわけではない。 一部の過激な意見を述べる方を除いたブロガーの多くもそれは同じ。 殺人は最高刑として死刑が用意されている。 しかも光市母子殺人事件の場合は二人も殺している。 上の例で言えば、酔っ払い運転は危険運転致死傷罪の規定で死刑にはできない。 規定されているのは懲役刑だ。 運転手を死刑にしたいという被害者家族の声は当然あるだろう。 しかし日本が法治国家である以上、法律を曲げることはできない。 早い話が、光市母子殺人事件と酔っ払い運転を同列に比較することに無理がある。 また、以下の意見も疑問がある。 >飲酒運転をしようとしてもできないような車、制限速度を超えた運転ができないような車、そういう車をつくることを放棄することを許しておいて、すなわち、毎年1万人以上の人が亡くなることを知りつつ、防止策のとられていない車が走り回ることを許しておいて、他方で、光市の母子殺人事件の犯人を死刑にせよと、国家に求めるのは、あまりにバランスを失していないだろうか。 「飲酒運転をしようとしてもできないような車」 「制限速度を超えた運転ができないような車」 これらしか日本では走れないようにすることは現状で不可能。 現在研究中であり、実現はかなり先になる。 前にも書いたが、酔っ払い運転と光市母子殺人事件は全く違う事件。 この方の主張は説得力に欠ける。 詭弁と批判されても仕方ないだろう。 この記事で分かったことは、「誰でも間違える」ということ。 そして弁護士でも論理の欠けた主張をするということ。 この方は、死刑を廃止したいのか。 ならば、死刑廃止後はどうなるのか? 仮釈放なしの終身刑を死刑の代わりにするのか? ただ単に死刑を廃止するだけなのか? どこかに書いてあるのかもしれないが、それを知りたいと思う。 死刑は意味がないのか? 私はあると考える。 殺人に死刑が用意されているのは「殺せば死刑になることもある」という国の決意。 そして死刑という刑罰があることで犯罪の予防にもなる。 もちろん死刑と犯罪予防の関係には異論がある。 それは私も知っている。念のため。
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最終更新日
2007.06.29 20:20:06
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