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2024.05.24
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カテゴリ:旅行 高知県
ジョン万次郎生家訪問

土佐清水のトンネルを抜けると
真っ青な太平洋が広がり

ジョン万次郎(中濱万次郎)が生まれた
中浜(地名)があります。



最南端の足摺岬には万次郎の銅像




太平洋側を向いている



足摺岬から車で10分
万次郎の生家がある中浜に到着



小さな漁師街




防波堤には万次郎物語



初めての漁で遭難


















運命の分かれ道
万次郎だけ船員として航海を続ける



































車も入れない路地
昔の区割り







再現された万次郎の生家






土間と畳8畳程度の家



大河ドラマ化の要望



トイレは家の中



隣の敷地の共同井戸
は今も残っている



再建された生家の2軒先に元々生家が建って
いた場所があります。



中浜の漁港



土佐清水のジョン万次郎資料館
2回目の訪問



鳥島に漂着
この鳥を食べて空腹をしのいだ
(人に対して警戒心がなかった)



143日間過ごした無人島



当時の船ではたどり着いただけでも奇跡



捕鯨船船長ホイットフィールドさん
万次郎たちを救出する




肉を食べる為の捕鯨でなく
油をとるために鯨を獲った



アメリカでゴールドラッシュがブームに
なるまで鯨の油を獲るとこが一攫千金
になった。



漁の様子



アメリカで資金を得た万次郎は
小型船を購入「アドベンチャラ号」



上海行の大型船で沖縄近くまで行き
アドベンチャラ号に乗り換え沖縄に上陸



1851年幕末に沖縄到着
薩摩藩や中国との間で日本の力の

およばない琉球を目指した




沖縄から鹿児島、長崎へ
事情聴取されながら本土へ上陸

鹿児島では西郷隆盛の師とされ

薩摩近代化の礎を築いた藩主島津斉彬公と面会



沖縄の上陸地点にある銅像



何故かちょんまげ姿になっている万次郎



土佐藩主の山内容堂にも面会



11年ぶりに中浜の街に帰り
母親と再会する



幕府は日本で唯一英語を話すことができる
万次郎は通訳として期待された



ペリーとの交渉では万次郎は呼ばれなかった
幕府内の一部に万次郎がアメリカのスパイ説
が浮上し通訳として実現しなかった




英語からオランダ語から日本語
歪な通訳で会談が行われた



土佐藩の後藤象二郎にも影響を与える



土佐藩では海外での出来事や英語を伝え
その中で漂流記もまとめられました







3度の結婚もアメリカ流
今では当たり前のパン食やコーヒーの
習慣も日本で一番早く身に着ける

写真撮影(カメラ)の技術も取得



万次郎が書いたアルファベット
最後は&の文字か?



日本代表の通訳として咸臨丸に乗り
再度アメリカに渡った

アメリカではホイットフィールド船長夫妻
とも再開している



アメリカから持ち帰った
英語辞典



咸臨丸の模型



万次郎が関連した書物




土佐藩や明治のキーマンたちとの交流は
あったようですが坂本龍馬とは出会って
なかったようです。



万次郎が上陸した沖縄の摩文仁海岸



令和3年に訪問



アドベンチャラ号に乗って上陸した万次郎



沖縄滞在時に暮らした豊見城市



豊見城市に建つ記念碑

住民に歓迎され万次郎音頭まで作られる





滞在した家に一部は今も残っている



令和6年1月訪問

東京の雑司が谷霊園
ジョン万次郎のお墓




新しい花が添えられていた



戦争時の空襲により破壊された


新しい記念碑



実話の漂流記
今読んでも面白い本

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最終更新日  2024.05.24 00:10:10
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