今日の入選句
・かえるの子かえるだなあとあきらめる(やっぱり)・やっぱりね身内に会ってくれときた(やっぱり)・のっぺらぼうばかり棲んでる永田町(顔)・貧乏神我が家居心地よいらしい(近詠)不具が人前で発表する川柳を書くとき、心がけていること。それは、人を笑わせることです。所詮、自分が書く川柳は、芸術ではない。所詮、自分が書く川柳は、文学ではない。所詮、自分が書く川柳は、文芸でもない。それくらいのことは自覚しているつもりです。なのに、選者が選句している間、不具の師匠である先生は言う。「旧態然とした江戸川柳ではなく、近代精神による飛躍を求めなけばなりません」先生の言わんとすることはわかります。けれど、その「近代精神」なるものは、所詮、不易流行の流行の部分でしかないでしょう。近代精神による飛躍というなら、どうして不具の「緋の月のしたたるように薔薇の散る」を採らないのか。選者の先生方が採るのは、高齢者仲間に受けるような「老い」をテーマにした句ばかりじゃないですか。「あるく」も「顔」も「やっぱり」も老人クラブの内輪話になってしまう。それでいて「若い人にもっと参加してもらわねば」なんて言ってんだから江戸風に言えばちゃんちゃらおかしいや。皆さんが書いているのは、結局、江戸川柳からエログロナンセンスを除いた平成柳多留の句そのものなんですけれどね。お題がついたら、五七五の中にそのお題の言葉を盛り込んだ句ばかり整列する。そのどこに「飛躍」がありますか。だから、言ったでしょう。不具が人前で発表する川柳を書くとき、心がけていること。それは、人を笑わせることだって。