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2014.04.19
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カテゴリ:哲学・思想


船木亨「ドゥルーズ」(Century Books―人と思想)

清水書院

1994年刊










「ひとはわれわれに、ある哲学者が述べていることを、あたかもかれがなしていること、

 あるいはかれが欲していることでもあるかのようにもちだしてくる」『経験論と主体性』第6章




『アンチ・エディプス』は、1968年のフランスの5月革命から生まれて来た書物である。

 5月革命において、大衆運動は生じ得た。

 しかし、この革命を通してわかったことは、マルクス主義のいう歴史の真理は存在しなかったこと。

 そして、マルクス主義同様、実存主義も魅力を失った。


 フロイトは、エディプス・コンプレックスが人間の本質を表現していると前提にする。

 精神分析だけがこの本質を知ることができると考えた。

 一方、ドゥルーズ=ガタリは、フロイトがエディプス・コンプレックスによる精神分析を

 絶対化しようとしたことを批判する。

 この性的欲望の過程は、人類の特定の期間にはあてはまる理論かもしれないが、

 超歴史的な現象ではない。

 性的欲望の過程がどのようなものとなるかを規定するのは、社会体制である。

 そして、性的欲望の過程を、社会的に分離したのは、資本主義体制である。



 資本主義は、「脱土地(テリトリー)化」と「再土地化」の永久運動である。

 「脱土地化」とは、コードと超コードを取り外す「脱コード化」の現象であり、

 欲望の流れによって形成される形象を分解する運動である。

 そこに「器官なき身体」の兆候が表れる。

  

 「器官なき身体」とは、欲望する機械の自己生産が無限にまで到達した世界、

 生産自身が欲望されているだけの世界のことである。

 

 資本主地は、いわば底なしなのである。

 もはや、土地のあり方(自然)や制度のあり方(文化)といった基礎的なコードが
 
 重要なのではない。

 そこには、災害・戦争・病気・恐慌等の偶然の出来事において復活してくるかに見える

 本来生活(民族性)、人間のなすべきことや安らげる場所(倫理)といった基盤を

 資本主義は持っていない。



『アンチ・エディプス』の描き出す世界は、マルクスの弁証法的な歴史ではなく、

 ましてや、実証的な歴史ではない。

 論理的な意味で、資本主義が生成してくるプロセスを示すことを通じて、

 資本主義が何たるかを説明しようとするものにほかならない。





<目次>
1 ドゥルーズの経歴
(『アンチ・エディプス』まで
五月革命とその背景
構造主義との関わりとそれ以降)
2 『アンチ・エディプス』の宇宙
(欲望と知性
欲望する機械
器官なき身体
欲望の論理学
スキゾ分析)
3 ドゥルーズ主義の哲学
(思想史的研究とヒューム論
ベルクソンとニーチェ
表現の世界
差異の哲学
むすび―出来事の哲学、出来事としての哲学)





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最終更新日  2014.04.19 11:17:29
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