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カテゴリ:光圀の諸国への旅
一乗寺への参拝が終わった後に、入谷ではなく、上野方向へゴー。
少し歩いたら、護国院に到着。天台宗の寺院で、東叡山寛永寺の子院の一つだけではなく、最初の子院であるため、東叡山護国院とも呼ばれる。山門に大黒天という文字も書かれてあるが、谷中七福神の大黒天を祀るということである。 寛永2年 (1625年)、天海僧正が東叡山寛永寺を開いたと同時に、天海僧正の片腕とも言われた生順僧正は、天海の命で護国院を創建した。本堂は寛永寺の釈迦堂として建てられ、寛永寺の根本中堂が完成するまでの間、東叡山の総本堂の役割を果していた。釈迦堂には釈迦、文珠、普賢の三尊像が安置された。御本尊は釈迦如来であるが、子院としてのご本尊は千手観音。また、寛永16年に大坂城落城25年にあたって、豊臣、徳川両軍の霊を弔うため、大念佛法要が執り行われたが、この功績を称えて徳川三代将軍家光より、藤原信実卿筆と伝えられる大黒天の画像が寄贈された。このため、大黒天を祀ることになった。 なお、今の本堂は、享保2年(1717年)に焼失したたため、享保7年(1722年)に再建されたものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.15 00:05:10
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