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テーマ:カルト映画(14)
カテゴリ:テキトーな映画レビュー
長回しの映像を延々と見させられるタル・ベーラ監督映画『ニーチェの馬』[2012年] のレビュー後編です。
後編は思想的なテキトー語りを盛り込んでいきますので、本編のあらすじをご覧になってない方は、前編の方を先にご覧になった方が退屈しないかもしれません。 どうでもいいトリビア1. トリノの馬事件と邦題の矛盾 冒頭で語られるトリノの馬事件に登場する御者の名が曖昧(ジュゼッペかカルロか……と全く異なる名前を挙げている)であることから、事件の目撃内容の曖昧性が高いことが読み取れます。 実際、この事件について目撃者の証言を裏付ける証拠資料は発見されていないようです。 また、実際に作品をご覧になると、冒頭の事件語りで登場する御者の名前と、主人公の老人の名前(オールスドルフ)が一致してないことに気付いた方もいらっしゃるでしょう。 よって、本編に登場する馬は、ニーチェが実際にかばった馬ではないのです。 これが邦題が『ニーチェの馬』になっているとマズい一番の理由です。 馬主ならだれでも馬にムチを振り下ろしているわけです。 自由を奪われた状態で毎日主人のために働かされ、言うことをきかなければムチ打たれる。 そしていつかは老いて働けなくなる。それが延々と世界のいたるところで繰り返されています。 それを、ある老馬の最期をニーチェの逸話と重ね合わせることによって、あたかも視聴者が今そこで事件を目撃したかのような錯覚を起こします。 2. 馬の名前 撮影に使われた馬は Ricsi という名前の雌馬。 冒頭のキャスト紹介で堂々とその名前が流れます。 3. 作品の構成テイク数がたったの 30。 プチねたバレ以降は、作品をご覧になっていない方には面白味が半減してしまうネタバレとなっていますのでご注意ください。 当方独自の解釈ですが、この他にも観た人の数だけの解釈が存在することは予めお断りしておきます。 1. ニーチェが乗り移った男 作品の中盤、焼酎を分けてほしいとやってくる小太りの男。 彼が口走るセリフだけでも、ワンテイクで4分という長さになっています。 これが作品の鍵を握るシーンともいえます。 彼は大空、自然界、静寂、すべてが我々から奪われたと言いますが、それらは神の天地創造の七日間につくられたものと重ね合わせることができます。 「優秀で気高い人間は理解せざるを得なかった この世に神も神々もいないと―」 この言葉は、ニーチェが狂人としての片鱗を見せはじめていた作品『ツァラトゥストラはかく語りき』の有名な言葉「神は死んだ」と、彼が定義した「超人」を彷彿とさせます。 また、彼はこのようにも言います。 「この世は決して変わらない これまでも これからも」 永劫回帰(後述)を思わせますね。 しかし、みなさんご存じのニーチェ自身の肖像は髭面ですが、この訪問者は頭も顔もツルツルなのです。 したがって、発狂直前のニーチェの生霊が乗り移ったハゲ男と考えるのが妥当かもしれません。 また、このハゲ男がニーチェ自身とは異なる理由として、ニーチェはアルコールを口にしないようにしていたこと、そしてニーチェの永劫回帰をセリフの最後で否定することが挙げられます。 「すでに変化は起きていた」 そして、このハゲ男がすべてを語り終わったとき、父親がバッサリと言い捨てます。 「くだらん」 父親の言葉は、神の存在を否定するニーチェ思想に対する強い嫌悪感と、ビックリ自己愛本『この人を見よ』で、一神教には存在し得ない永劫回帰を唱えつつ、「なぜ私はかくも賢明なのか」、「なぜ私は一個の運命であるのか」、「なぜ私はかくも賢明なのか」と言い切ってしまったニーチェ自身に対する侮蔑にも取れます。 2. 訪問者=キリスト教的宗教観の否定 この親子はこのまま時間が経てばどうなるか、実はすでに分かっています。 父親は仕事のためにしょっちゅう町に出向いていたのですから、強まるばかりの砂嵐や、町中で何かとんでもないことが起こりつつあることを知っていたはずです。 しかし、それを娘に伝えようとしません。 娘は始終家の中ですから、町中のことは知るよしもないのです。 その中で、救済のために訪れたとみられる人物が二回登場します。 一回目が前述のハゲ男。 ハゲ男はニーチェの永劫回帰を思わせる言葉を残します。 二回目が井戸水を飲みに来た通りすがりの馬車の人たち。 彼らは、一緒にアメリカに行こうと娘を誘います。 そして井戸水のお礼に娘が受け取った本のタイトルが「反聖書」。 この部分は、ニーチェ自身が敬虔なキリスト教徒として教育を受けておきながら、最終的には自らの作品『アンチクリスト』でキリスト教の一神教至上主義を批判したことを連想させます。 彼らの発言に信じてその地を去れば、その先には救済の道があるのかもしれない。 その逆で、彼らについて行ったら、今より悲惨なことが起こるかもしれない。 どちらの選択が正しいのかは示されていませんが、少なくとも親子は残る(今までの宗教観に従って生きる)選択をしたようです。 3. 分岐エンディング この作品をもっと面白く鑑賞するポイントとして、永劫回帰があります。 永劫回帰 [WikiPedia] 永劫回帰はニーチェが唱えた思想で、きわめて強引ですが一言でまとめると「すべてのイベントは永遠に繰り返される」になります。 朝起きて、仕事に行き、帰って、食べて寝る。 この繰り返しは我々が日々こなしている日課ですが、こんな毎日に辟易しながらも延々と同じ行為を繰り返しています。 それは、多少やり方が異なっても毎日同じように繰り返されています。 馬が主人の言う事を聞かなくなるのも、ムチ打たれることも同様です。 私たちが過去の人たちを知らなくても同じことをやってきただろうと容易に想像がつきますね。 そして未来の人たちも同じことを延々と続けていくであろうと。 親子が本当にどうしようもないほど淡々と同じ動作を繰り返しているのが、この作品のポイントになります。 そして、最後に何かとてつもなく絶望的な終わり方を予感させつつ勝手に終わってしまうところで、あなたに究極の選択を突きつけます。 永劫回帰を支持する(YES / NO)? YES と答えたなら、この 6日間が終わり、7日目にはまるでゲームのように最初の状態にリセットされるでしょう(プログラミング風に言えば、無限ループ内の一行目のステートメントに戻るのと同じ)。 NO と答えたなら、冒頭から漂いまくっているヨハネの黙示録的な描写のように、七日目に二人は死んで、一旦この世界が終わってしまうの「かも」しれません。 しかし、DVD を毎回スタートから再生する行為を考えれば、最初から答えは確定しているんですけどね^_^;。 解釈の多様性という意味では個人的に好きな映画になりますが、人によっては迷作として片づけられるでしょう。 他人がどう評価したかよりも、あなた自身が感じたことが、あなたにとって正しい解釈だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.01.23 22:43:48
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