カテゴリ:旅立った孫への手紙
12月23日16時お袋が老衰で亡くなりました。享年90歳。
お袋には感謝しかありません。若い頃散々迷惑をかけましたが老後は私としては出来得る限りの介護をして来ました。悔いはありませんし、私をこんな頑丈な身体で産んでくれてありがとうです。 お袋は親父の元に旅立って行きました。親父・綾人と一緒に私がそっちに行くの待ってて下さい。私は擦り切れるまでまだ仕事を頑張りますから。 また生まれ変わったとしても親父・お袋の子どもとして生まれ変わりたいと思ってます。お疲れ様でした。ゆっくり身体を休ませて下さい。残った私達のことは安心して下さい。私が守って行きますからね。 思い出せば尽きることなく書いてしまいますのでここでやめます。 大ファンでコンサートを見に行ってたコーチャン越路吹雪さんの曲で送ります。 そして美智子様がお袋の全てでした。美智子様が皇后様になったと、泣き、おやつれになったと泣き、そして美智子様の笑顔だと、満願の笑みで観てましたね。美智子様に関する写真集から著書を読んでましたね。上皇様の誕生日に亡くなったことは偶然ではありませんね。 この写真集もっておりました。 更に加筆、12月27日、親父の誕生日に送り出すこと出来ました。親父・お袋とも死亡診断書は老衰でした。両親とも眠るように旅立っていきました。 最後は私と家内で見送る事できました。そしてまたひとつ私のミッションが終わりました。自業自得人生のどん底まで落ちた私の盾になって物心両面で支えてくれた両親。特にお袋には子どもの育児をお願いしました。いつの間にか実家は子ども食堂になっていました。親が離婚した子ども、両親とも共働きで夕食を一人で食べてた子ども。その子達をお袋はお風呂まで入れてました。 親父が旅立って5年11ヶ月そろそろ来てくれとなったのでしょう。あの世でも夫婦でいてくれよ、最近はやりのお一人様独身なんて勘弁してくれよ(笑)そうなると私はこの世に存在していないことになるからね。 上皇様美智子様のご成婚の時に我が家はテレビを買ったそうで、私の記憶にもテレビを観ていた記憶があります。またステレオというより蓄音機かな、レコードを母親が聴いていた記憶もあります。 コーチャンは勿論ですが、西田佐知子さんを聴いてた記憶があります。 家内から新たなミッションが、孫のために擦り切れるまで働けと(苦笑) 私の家族です。右は私の兄と間違わられる弟です(笑)弟の嫁さんは体調が悪く出席できませんでした。 繰り上げ法要の後で あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会|さえりん♥ストラップ (aichinijiirokai.wixsite.com) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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