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カテゴリ:感動した本・映画・音楽
2月25日(土)、午後2時から第10回菜の花忌シンポジウムが、東京・日比谷公会堂で開かれました。
司馬遼太郎の命日、2月12日を菜の花忌といいます。 司馬さんは、タンポポや菜の花といった野に咲く黄色い花が好きなのだそうです。 『菜の花の沖』という長編小説があります。 主人公高田屋嘉兵衛は淡路島の出身ですが、私のふるさと函館には、函館山の麓の函館山玄関口に大きな高田屋嘉兵衛の銅像が立っています。 なぜか・・・・・・・ ご存知のない方は是非この本を読んでみてください。 菜の花忌は 毎年、東京と大阪で交互にシンポジウムや講演会を開いていて、今年は東京の番です。 さらに今年は、司馬遼太郎の没後10周年にあたるのです。 私は、待ちに待った往復はがきの返信用に印刷された入場券を大事に内ポケットに入れ、不思議な鼓動の高まりを感じつつ、一瞬でも早く恋人に会いたいという、青春時代の気持ちを抱きながら会場に向かっています。 地下鉄霞ヶ関駅で降り、階段を駆け足で登るとそこは土曜日の官庁街、拍子抜けするほど人通りの少ないビル群を足早に抜け、信号待ちには少しイラつく。 日比谷公園の入り口へと向かい公園の門をくぐると、目の前に飛び込んできたのが、なんとあの三角形の日比谷図書館です。 昔のままの姿で私を迎えてくれたことには、ただただ 驚きました。 少し寂れた状態ですが、現在も現役で図書館として使用されていることは、とても感慨深いものがあるのです。 そう それは もう35年も前のことでしょうか 当時の私が、この図書館の2階の窓から見た「いちご白書」のワンシ-ンは、今でもハッキリと脳裏に蘇えってくるのです。 1970年前後 日本が熱かった、そして東京が燃えていた・・・・・・・・あの時代です。 「悩み続けた日々がまるで嘘のように 忘れられる時が来るまで心を閉じたまま 暮らして行こう 遠くで汽笛を聞きながら 何もいいことがなかったこの街で」 なんて アリスの歌を口ずさみながら、日比谷公会堂に向かって歩いていくと、私と同年か、いやいやもっと年配の老紳士たちが続々と銀座方面から、この日比谷公会堂に向かって歩いてきます。 みんな 司馬遼太郎の愛読者達だろうなと思うと、なんとなく親近感を覚え、まったくの見ず知らずの人達なのですが 目が合うとついつい会釈をしてしまいます。 赤いレンガに包まれた昔の面影そのままの日比谷公会堂の階段を上り会場に入ると、そこはもう黒山の人だかり、私は一番前まで歩いて行き空席を探すのですが全く隙間もありません。 嗚呼 もう少し早く事務所を出るのだったと少し後悔しています。 (実はギリギリまで仕事をしていたのですよ・・・・・) 結局 左側の中、後よりのところに空席見つけ「空いてますか?」と声をかけ、やっと(肘掛がなく隣の人と肩が当たる窮屈な昔ながらの椅子)席を確保し、あたりを見回すと、なんと8対2の割合で男性が圧倒的に多いのです。 こんなところで、司馬さんが女性にもてなかったことが判明するとは・・・・・・ ? 幕が上がると舞台には菜の花が一面に飾られ、その中にポツンと並んだ椅子には6名程がシンプルに座っております。 (ミュージカルとは大違い・・・・・) 第1部は、司馬遼太郎賞とフェローシップの贈賞式が行なわれ、最初に司馬遼太郎夫人の福田みどりさんが、司馬さんの昔の思い出話やら最近の自分の司馬さんに対する気持ちを語られました。 それから『水滸伝』で司馬賞を受賞された北方謙三さんのスピーチとフェローシップ受賞者の活動報告が行われました。 第2部のシンポジウムのテーマは「『坂の上の雲』-日本の青春」です。 パネリストの井上ひさしさん(作家) ・関川夏央さん(作家)・芳賀徹さん(京都造形芸術大学学長)・山崎正和さん(劇作家、評論家) の各氏が、正岡子規や秋山好古・真之兄弟のいろいろなエピソ-ドを交えながら、NHKの古屋アナウンサ-の司会のもとに活発に話し合われました。 「坂の上の雲」は1968年から1972年の4年半にわたり産経新聞に掲載されたことを、初めて知り、あの日本が熱かった時代に、このような日露戦争を題材に原稿を書かれていたとは驚きでした。 最後に井上ひさしさんが、「地球の上の雲には、暗雲が立ち込めている。日本は地球の中の伊予松山にならなければならない」と話しておられました。 この模様は5月下旬のNHK土曜フォ-ラムで放映されるそうですので、関心のある方は是非ご覧ください。 講演の終了後に帰りの出口では、会場に来ている参加者全員に菜の花を配っておりました。 老紳士の皆さんは、司馬さんの好きな菜の花を手にして、満足そうに銀座の雑踏の中へと吸い込まれ、日々の生活へもどっていかれました。 それぞれの歴史を背にしながら・・・・・・・・ 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のやうに、 地面(じべた)を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のやうに、 たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 「私と小鳥と鈴と」-金子みすゞ 安西節雄 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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