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カテゴリ:つばさ塾教育理念
Nobody knew when we could finish the work. 私たちが(いつその仕事を終えることができるか) 誰も知らなかった。
ん、じゃぁな、この問題はここで終わりじゃないんだ。 [could]は[can]の過去なら、 <できた>じゃないのか?
あっ! ほんとだ! <できる>になってるぅ~。
そうそう、これが日本語と英語の違い。 英語はね、過去を語るとき、あくまでも自分は現在にいるんだよ。 だから、仕事のことも、誰も知らなかったことも、 現在から見れば、過去なんだよね。 だから両方とも過去形にするわけ。
ところが、日本語は、語り手が現在にいても、 過去に入り込んじゃったりするんだよ。 時間を旅できちゃうんだよね。
なるほどぉ~。
な? 日本語と英語との違い、 ここまでいくとおもしろいだろ?
はい。
そのためには、ちゃんと分析しなきゃな。 たかが英語の問題1問だけど、 それを分析することは、結局、自分を分析することになるんだよ。 自分では気づいてないと思うけど、 お前、今、笑顔だよ。 なんでだろ?
・・・・・・・・・・・・
じゃぁね、こういう分析、俺がいなくちゃできない?
できると思います!
そう、それが笑顔のもとだよ。 「やればできる!できると思え!」ってよく聞くけど、 それはただ単に「できる」って念じるみたいに、 精神的なことじゃないんだ。 ちゃんと「できる」根拠を自分の中で探し、 見つけることなんだよね。
「わかる」とか「できる」とか、 本人がそれを自覚しない限り、 本人の中に存在しないことになってしまう。
存在しなければ、自信が持てず、 向上意欲にも影響するはずです。
我々大人は、その自覚を生徒に持って欲しいと 願うわけですが、 大人でも、1人では難しいときがありませんか?
大人でも、長年続けてきた癖というか、 思考パターンですね、そういったものによって 気づけないことはよくあることですよね。
ましてや成長途中である小・中学生であれば、 我々大人よりも、大変です。
自己分析というものは、 決して人任せにするものではありませんが、 人との関わり無しでは成立しない、 そういうものじゃないでしょうか。
参考書やインターネット、 世の中、情報は溢れていますが、 「授業」というものが必要とされるのは そういうことだと僕は思うんです。
つづく・・・。
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Last updated
2009.12.04 08:05:04
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