記念日 2010.4.27
ぼくの私的記念日が増える。 きょう、2010年4月27日。 もしかすると生涯何度目かの「特別な日」になるかもしれない。 ……きょうは休暇をとった。 昨夜、あしたの朝は5時起きじゃなくていいんだと思いながら横になったのだったが、今朝、やはり5時ちょっと過ぎに目が覚めた。 窓の外は雨だった。 朝めしはかみさんと一緒に炊きたての竹の子ご飯を食べる。 夜勤明けの看護師さんたちにあげようといい、かみさんは小ぶりな竹の子ご飯おにぎりをいくつも作っていた。 手を動かしながら「きょう、出かけるでしょ。竹の子を買ってきてよ、いましか食べられないんだから」という。 「いいよ、富士ガーデンで買おう」と応ずる。 午後、駅の周辺に行くからだ。 孫田クリニックに健康診断の予約をとってある。 毎年の定期検診で、あらかじめ郵送されていた問診票はすべて埋めてある。 昼食は禁じられているので午後2時ともなると腹が減ってきた。 雨の中、バス停に向かう。 バス通りに花水木の長い並木がつづき、さながらレース飾りのような風情。 ぼくの好きな風景なのだが冷たい雨に降り籠められた花が濡れそぼり、なんだか可哀想だ。 レントゲン撮影に始まる検査はスムーズに運び、採血の注射針がちくりとくるのを我慢していたらもう最後の診断となった。 坂井先生といったな、たしか。 メガネをかけた女医でてきぱきしたひとだ。 口跡がいい上に中身があり、話は説得力をもつ。 問診票をじっくり読んでくれていたのだろうか、こちらを振り向くなりこういった。 「お酒、やめたほうがいいです。やめてください」 いきなりいわれたわけではないが、唐突な断定ではあった。 ふぅむ、いよいよきたか。 「そうですか。でも、2杯ぐらい呑むともう息が上がってしまい、苦しいので酔っぱらうまでなんて呑めないんですよ。それでもやめたほうがいいですか?」 「ぜひやめてくだい。これまで、どなたもいいませんでしたか?」 「やめろとはいわれてないなぁ」 「お酒は税金になるから国はやめろといわない。お酒を造る会社は設けるためにいわないしお医者さんもいいにくいのでいわない。でもお酒はからだに悪いんです。たばこと同じ。たばこはよくやめましたね。タバコをやめられたのだからお酒もやめられます、やめてください」 「じっさいには2杯以上は呑まないに等しいんです、呑みたいけど苦しくなっちゃって呑めないから」 「苦しくなるとわかっているのならなおのこと呑まないほうがいいじゃないの。やめてください」 「きょう、酒をやめろといわれることになるとは思ってもみなかったなぁ」 「だれもいわないからでしょう。お酒はからだ中にとってよくないのです、血管がぼろぼろになるし心臓に負担がかかる……。これまでさんざん呑んできたのだからもういいでしょう、やめてください」 おいおい見てきたようなことをいうなぁ、と思いながら頭の中は回想のフラッシュ・バックが始まっている。 20歳代はウィスキーを呑んでいた。 ほぼ毎晩、夜明けまで、水でうすめたニッカウィスキーをぐいぐい呑んでいた。 目の前がぐらぐらになるまで呑んだのがこのころだ。 ヨーロッパに行くようになってからシングル・モルトのうまさを知りウィスキーの水割りは呑まなくなった。 ただ、30歳代前半のそのころは、すでにコニャックばかり呑むようになっていたのを覚えている。 当然ストレート。 コニャックグラスが空きそうになると店のママやホステスが、こちらから断らないかぎり新たに注ぎ、いわゆる「がぶ呑み」なんぞはしなかったけれど、いやそんなに強くはないのでできなかったわけだが、そうはいっても5杯や6杯は呑んでいただろう。 もっとも日本酒やワインも同時並行的に呑むのだから何ともいえない。 ただ個人史的に振り返ると、ひと晩にコニャック5,6杯という時期が長かった。 がん手術を経てCOPDが発見され、それからはもっぱら焼酎お湯割りとなる。 先夜、蓮太郎くんと八王子で飲み歩いたとき、久しぶりにコニャックを呑み、うまかった。 うまかったが、まだまだ呑みたいと思っても息が苦しくて呑めなくなってしまう。 ついこの間、そういう夜があった。 坂井医師が「さんざん呑んできたのだから」というのは、どんな相手にも通じるいいかたとして口にしているだけなのだ。 しかし、そうとわかっていても、こちらの思いが見通されているといった気持ちの揺らぎがなかなか消えない。 もっとさまざまな話があり時間もかかっていたのだが、要するにいま上に書きならべたことが核心で、じつをいうとほどなくぼくは、この医師に敬意を表したくなっていたのである。 「わかりました、やめよう」 「そうしてください」 24日の土曜日に呑み、翌日曜日は呑まず、26日月曜日には昼間から呑んだが呼吸困難に苦しんだ。 この女医さんはそういったいっさいを、45年を超えるぼくの過去のすべてを含めたいっさいを目の前に見ながら「お酒をやめてください」といっている。 潮時かも知れない。 きのうの最後に呑んだのはコニャックで、レミィ・マルタンだった。 30歳代初めに好むようになった最初のコニャックが同じレミィ・マルタンだったことを思い出す。 その後、ヘネシーばかりを呑むようになり、もちろんワインや日本酒もうまいけれど、くせのように焼酎やコニャックなど蒸留酒をお湯で割るようになって現在にいたるわけである。 たしかに「もう、いい」ともいえる状態だな。 OK、やめよう。 敬意を表したくなった医師が本気でいってくれたのだ。 酒を呑むのはもうやめた。 クリニックを出、すぐ近くの東急スクエアに入り、地下の富士ガーデンへ。 竹の子を探すが目に付くのは「竹の子水煮」など加工したものばかりで、皮の付いたナマの竹の子はなかなか見つからない。 舞茸や椎茸をカゴに入れたりしながら二度も三度も野菜売り場を歩く。 わぁ、あった。 ものの陰になって見えにくい処に段ボール箱があり、中に小ぶりな竹の子が4本ある。 初めはみんな買っちゃえと4本ともカゴに入れたけれど、もしもぼくのように竹の子を探すひとがいたら気の毒ではないかとおもい、1本だけ戻した。 竹の子、3本。 かみさんはすぐに煮るための下準備を始める。 夕めしは竹の子ご飯に、竹の子の吸い物に、わかめと合わせた若竹煮。 きょうは焼いた竹の子も食卓に並び、うまいうまい。 焼き魚もあるけれど竹の子がうまい。 こういうときに酒を呑みたくなる。 自宅で呑むのだから息が上がっても歩かないでいい、座ったきり呑んでればいい、だから呑みたい。 かみさんはビールをごくりと飲んでいる。 ぼくはビールは好まず、ふだんなら日本酒を呑むところだ。 しかし呑まない。 断じて呑まない。 酒はもうやめたのだ。