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ザビ神父の証言

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2007.07.18
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カテゴリ:外国史

フランス革命(6)

こうして、7月12日を迎えました。国王は前日11日に財政総監のネッケルを罷免しました。このネッケル罷免の報は、12日午前9時頃にはヴェルサイユからパリにも伝えられました。民衆はネッケルが買い占めを厳しく取締り、春からの物価高を解消してくれるものと期待していましたし。大ブルジョワは彼の財政再建策に期待を寄せていました。それだけにネッケル罷免は、パリ中に不安感を広める役割を果しました。

当時のパリは東西に8,5km、南北に6km程度の市域に約60万人の人々が暮らす大都市でした。その中心部にあるのが、当時パリ最大の盛り場として賑わっていたパレ-ロワイヤルでした。ここはオルレアン公の住まいでしたが、彼が中庭に回廊を設けて商店を誘致し、パリで最も活気のある商店街に仕立て上げたのです。そこには当時流行のカフェもありました。そこでは様々な政治談義も戦わされます。不安感を募らせたブルジョワや民衆が午後のパレ-ロワイヤルに集まってきます。当時若手の弁護士だったデムーランは、この日「やつらはなんでもやろうとしている。虐殺に気をつけよう。やられる前にやってやろうじゃないか。諸君、!武器を取れ」と激烈な演説で、聴衆をひきつけました。

「貴族たちが、我々庶民を脅かすために、食糧を買い占めて物価を吊り上げている。」経済不安によって生活を脅かされていた民衆は、そこから出発して政治情勢に関心を寄せ、このような考えを共有するようになっていました。その上、全国の浮浪者を貴族が雇って、暴力で庶民を抑え込もうとしているという考えも、広く流布していました。こうして「貴族の陰謀」という観念が広く形成されていたところへ、ようやく活動を開始した国民議会を軍の力で圧殺しようという目に見える脅威がやってきたのです。議会の次ぎのターゲットはパリの我々だとの思いは、こうして確信に替わっていったのです。

デムーランの演説に共鳴した一群の民衆は、デモ隊を組織してパリの街を練り歩きます。その数は行く先々で加わる者もあって、チュイルリー宮につく頃には、6千人もの大部隊になっていました。当時の人口は多くみても60万人ですから、自然発生的なハプニングデモでも参加者はパリ人口の1%に達したというわけです。宮殿の庭で、警備のドイツ人傭兵隊と遭遇、睨み合いの続く中、夜8時頃パリ司令官の排除命令を受けた部隊は、民衆に発砲します。死傷者の血に興奮した群衆の圧力で、軍は近くのルイ15世広場に退去して、第一幕は終わりました。

12日夜には、武力衝突の雰囲気は出来あがっていたと言えるでしょう。ドイツ人傭兵隊が市民を虐殺したという報は、風のように素早く市内を1周します。その夜遅くには、革命に好意的なパリ市の衛兵を含めると、チュイルリー宮に集まった民衆は1万5千人近くに達しました。

13日早暁、午前時頃から、市壁に近い市内各所の入市税取立所の焼討ちが始まります。当時パリ市に運び込まれる商品には、入試関税がかけられていたのです。当然その分は消費者に転化されますから、パリの物価高に繋がるものとして、この税は市民の評判がすこぶる悪く、入市税取立所は市民によって目の仇にされていたのです。市内全54ヶ所の取立所のうち、40ヶ所が襲撃に合い、多くが放火されたのです。近くに隣家があり、類焼の危険のあるところは破壊だけで火はかけられていないため、明かに組織的、計画的な行動なのですが、実際どのような組織があったのかは、今日なお謎のまま残されています。

さて、こうして夜が明けると13日の月曜日。この日1日を費やして、市内の武器の探索が行なわれました。小競り合いとはいえ、前日軍隊との衝突があったのです。この日軍はシャン・ド・マルスの広場(この広場の最もセーヌ川沿いに、現在はエッフェル搭が立っています)に集結し、いつでも出動出来る体制にありました。絶対王政の暴力装置に対して、民衆は自ら武装することで自衛し、同時にヴェルサイユの議会をも守ろうとしたのです。この日、市内の武器商の店舗には、市民が乱入し、勝手に武器を持ち去りました。市内のブルジョワも有産市民による市民軍を編成し、武器調達に乗出します。

こうして、13日夜には、国王側の2つの大きな武器貯蔵所が廃兵院とバスチーユであることがはっきりしてきます。堅固な要塞バスチーユと老兵や傷病兵の収容所とでは、どちらが攻めやすいかは、おのずと明かです。こうして14日の行動は、先ず廃兵院に向けられるのですが、14日の顛末は明日記すことに致します。          続く

 






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最終更新日  2007.07.19 09:19:44
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